桜の弘前と五所川原 (5) 五所川原 立佞武多館   イバイチの
旅のつれづれ


賽の河原 川倉地蔵尊

 芦野公園から広い芦野湖を半周し、車で5分くらい走った距離のところに巫女(イタコ)が口寄せをするという地蔵尊堂がある。巫女(イタコ)の口寄せは同じ青森県の下北半島にある恐山が知られているが、津軽半島の人は旧川倉村にあるこの地蔵尊で口寄せをして貰い、鎌倉時代の昔から亡くなった人の思い出を新たにする行事が行われている。大祭の行われる旧暦6月23日は年間で最も暑く、暁の闇が深い日で、巫女(イタコ)の口寄せには最適の日だと言われる。

 賽の河原地蔵尊と言う名のように幼くして亡くなった子供の霊を救う地蔵堂で、亡くなった子供が成人した時に、あの世で結婚できるようにと着飾った人形が奉納され人形堂というお堂に沢山保管されている。本堂には正面の内陣に六地蔵尊が安置され、周囲を取り囲む外陣には沢山の遺影や衣装、手拭、履物などが置かれ、中段には衣服を身につけた多くの地蔵尊が置かれている。

 本堂の周辺にも色とりどりの衣装を着けた小さなお地蔵さんが置かれてその数は2,000体以上あると言われている。賽の河原と呼ばれている湖に続く坂道にも地蔵と風車がずっと置かれていて、幼い子供を亡くした親の悲しみが痛いほどわかる気がした。大祭以外の日は訪れる人も少なくひっそりと静まり返っていて、時折風車のカラカラ回る音が聞こえるばかりだった。

金木 斜陽館など

 金木の町中に戻り太宰治記念館「斜陽館」に行く。太宰が生まれる2年前の明治20年に竣工したこの建物は、弘前市の旧市立図書館や青森銀行記念館を手掛けた堀江佐吉に依頼して建てたものである。父親の津島源右衛門は津軽の大地主であり、貴族院議員も務めた。母親は病弱だったため、使用人のタケが子守として太宰の母親代わりを務め8才まで一緒に過ごした。後日書かれた「津軽」にはタケとの再会が感動的に描かれている。
 太宰の本はあまり読んだことが無い。ことに「斜陽」や「人間失格」のような最後の頃の作品は読んでいること自体がみじめになってしまい。最後まで読み通せなかった。人が生きていく希望のようなものが見られず。ひたすら破滅に向かって進んでいくような作品は好きではない。生誕100年祭とかで持て囃されるのは何故だろうと思ってしまう。

 しかし今回再読した「津軽」はそうではなかった。津軽半島の案内紀行としても楽しく身近に感じられた。津軽半島の外の浜は西行法師が 「陸奥の 奥ゆかしくぞ思ほゆる 壷の石ぶみ 外の浜風」 と和歌に詠んだ昔から辺境の地の代名詞のように思っていたが、『津軽半島の東海岸は、昔から外ヶ浜と呼ばれて船舶の往来の繁盛だったところである。青森市からバスに乗って、この東海岸を北上すると、後潟、蓬田、蟹田、平館、一本木、今別、党の町村を通過し、義経の伝説で名高い三厩に到着する。所要時間、約4時間である。』と記され、蟹田はその中心地で昔は砂鉄の産地だったとか蟹の名産地だとかと書いてあり、遠いと思っていた外ヶ浜が身近に感じられる。太宰はその後も津軽半島を一周して鰺ヶ沢から深浦まで行っている。先日書店で「太宰と巡る津軽半島」とかいう本を見かけた。この本を片手に津軽半島をたどる人も多く居るのだろうか。

 また津軽人のお客をもてなす気持ちや相手を慮る気持ちの表現など温かみに溢れた場面もあり、まさに今回W君夫妻が私に示してくれた心遣いそのものであった。W君の奥さんは、はるばる茨城から嫁いだにも拘らずここで生まれ育ったかのように、W君ともども生粋の津軽人らしくなっていると感じられた。

 そして最後にタケと出会うクライマックスとその余韻の深さ。太宰治の代表作は「津軽」であると言っても過言ではないと思う。

 金木から五所川原駅前のSホテルまで引き返し、ここで前日から付きっ切りで案内してくれたW君夫妻と別れた。長時間お世話いただいたW君ご夫妻に厚く感謝したい。

五所川原 立佞武多の館

翌日は雨が降ったり止んだりの天気だった。最初の予定では昨日ここに来る積りだったが予定を変更して芦野公園に行ったために、今日はこの「立佞武多の館」をゆっくり観ることが出来る。青森県では全国から300万人も見物にくるという青森ねぶた祭り(8/2〜8/7)が有名だが、他にも弘前ねぷた祭り(8/2〜8/7)、五所川原の立佞武多祭り(8/4〜8/8)が知られている。「立佞武多の館」にその代表的な模型が展示されている。(左から青森、弘前、五所川原のねぶた)

 五所川原の立佞武多は、平成10年に約90年以前に行われていたねぶた祭りを復活させたもので、高さ約22m、重さ約17トンの巨大な大型立佞武多の山車3台と町内・学校・愛好会などでつくられる中型、小型のねぷたと合わせ、15台前後が出陣して五所川原市街地を練り歩き、その圧倒的迫力で沿道の観客を魅了していると云われる。

 「立佞武多の館」にはその3台の立佞武多が常設展示されている。今年度新作の「又鬼(またぎ)」、平成19年度作で今年7月に引退する「芽吹き心荒(うらさ)ぶる」、平成21年度作の「夢幻破邪」である。平成20年度作の「不撓不屈」は補修中である。(写真は平成19年から22年までの立佞武多)

 立佞武多展示室入口の広場に入ると眼前に巨大な立佞武多がそそり立ち、思わず「ホオー」とか「へえー」とかの感嘆詞が飛び出す。カメラのファインダーに入りきれないほどの大きさである。
「又鬼(またぎ)」と「芽吹き心荒(うらさ)ぶる」の2基が前後に置かれている。(写真は上が「又鬼」と解説及び見送り絵、下が「芽吹き心荒ぶる」と解説及び見送り絵)。

そして「夢幻破邪」がその後方に見える。ここから4階までの直通エレベーターがあり、螺旋状のスロープを降りながら間近にねぶたの顔などを見ながらゆっくりと下りられるようになっている。

 其々の立佞武多の後ろ側には弘前ねぷたと同じ様に見送り絵が描かれている。下りる途中には祭りの映像とサウンドを映し出す巨大スクリーンがあり、祭りの熱気を感じられるようになっている。(写真は「夢幻破邪」と解説及び見送り絵)

 3階の立佞武多製作所ではパーツごとの骨組み造りから紙貼り、墨入れ、ロウ入れ、色付けの作業工程が見学でき、紙貼り体験もできるようになっている。全体の組み付け作業は立佞武多展示室で行い、祭り本番の時は展示室の一部が開いて、この場所から高さ22メートルの巨大立佞武多3基が出陣するのである。

旅の終わりに

 「立佞武多の館」の観光を最後に帰宅の途に着いた。今年1月には雪の青森から弘前へ、そして今回は桜の弘前から金木・五所川原へと本州最北の青森県に2回も出掛けた。この次は是非夏の祭りにと誘われたが、人混みの喧騒と熱気の中に入って行くのには年を取り過ぎた感がある。

 今回は岩木山もよく見え、日本一と云われる満開の弘前城公園の桜も見られた。そして津軽弁も多く聞かされ、W君ご夫妻に代表される津軽人の厚い人情にも包まれ、前回に引き続き深く心に刻まれる旅だった。JR五所川原駅からは五能線・奥羽本線を走るリゾートしらかみに乗車した。その広い車窓から本降りになった雨の中の景色を眺め、思い出を反芻しながら青森に向かった。

 (H22-5-7訪)


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