新緑の奥入瀬から角館へ (3)  田沢湖―角館   イバイチの
旅のつれづれ


新緑の奥入瀬から角館へ(平成19年5月21日〜5月23日 2泊3日の旅)

4.田沢湖

 田沢湖高原から田沢湖に行く。辰子像と湖と秋田駒ヶ岳を眺める。朝早いせいか人影は見られず静寂そのものである。田沢湖は水深423メートルで日本一の深さがあり、以前は摩周湖に次ぐ透明度があったが、玉川温泉からの強酸性の水を導入したためクニマスをはじめとした魚類はほとんど死滅してしまった。そのため石灰石などで中和対策を行っているのだそうである。

 秋田の十和田湖、八郎潟、田沢湖に関係する3湖伝説という壮大な物語がある。まず十和田湖については八郎太郎という若者が居たが、ある時、仲間の分のイワナを食べてしまったことで、のどの渇きが止められずに33日も川の水を飲み続けた結果、33尺の龍になってしまった。そのため八郎太郎は十和田山頂に湖を造り、そこの主になった。その後南祖坊という修験者が神託を得て、十和田湖に来て八郎太郎と7日7晩戦ってそれを破り、十和田湖の主として十和田神社に祀られることになった。

 十和田湖を追い出された八郎太郎は日本海付近まで逃げてきたが、恩荷島(今の男鹿半島)と陸をつないで大きな湖をつくることを神に祈願してその許しを得、ニワトリが鳴く声を合図に大地震と大洪水を起こし、それをもとに八郎潟を造り上げその主となった。

 田沢湖では辰子という美しい娘がその美貌を保ちたいと観音菩薩に百日の願掛けをし、お告げにより山奥の泉の水を飲んだが、いくら飲んでものどの渇きは収まらず、がぶがぶ飲んでいるうちにいつの間にか龍に変わって行き、田沢湖の主になった。彫刻家船越保武はその辰子の伝説をもとに黄金色のたつこ像を造ったのである。

 その後八郎潟の八郎太郎は、いつしか辰子に惹かれ田沢湖へ毎冬通うようになった。
辰子もその想いを受け入れたが、十和田湖の南祖坊も辰子に惹かれ、ある冬田沢湖で辰子を巡って再度激しく戦った結果、今度は八郎太郎が勝ちを収め、南祖坊を十和田湖に追い返した。それ以来八郎太郎は冬になる度、辰子と共に田沢湖に暮らすようになり、主が半年の間居なくなる八郎潟は年を追うごとに浅くなり、主の増えた田沢湖は逆に冬も凍ることなくますます深くなったのだという。

 それが3湖伝説のあらすじだが、秋田県にまつわる三つの湖に住む人たちの交流があったのか、先住民と新しい支配者との抗争なのか、八郎太郎と辰子は水を大量に飲んで龍になった共通点があるのは何故かなど想像力を刺激し、ロマンを掻き立てられる話である。


 たつこ像の近くに浮木神社(漢槎宮〈かんさぐう〉とも云われる)がある。流れついた浮木を祭ったものといわれている。神社は湖の中に張り出すように建てられている。案内看板によれば、この神社を潟尻明神ともいい、1769年、秋田藩士益戸滄洲(そうしゅう)によって漢槎宮と命名されたことから、この田沢湖のことを漢槎湖あるいはただ槎湖と呼ぶようになったとある。漢槎宮(かんさぐう)の意味はよく解からない。神社の脇に置かれた小さな石灯籠と秋田駒ヶ岳の取り合わせもなかなか良い。

5.角館

 次に角館に行く。みちのく三大桜名所として弘前城、北上展勝地と共に角館のしだれ桜は有名だが、武家屋敷など藩政時代の建物が多く残されているため、重要伝統的建築物群保存地区に選定され、みちのくの小京都として桜以外の季節でも観光客が多い。しかし桜の頃の様な雑踏は無い。しだれ桜はすっかり緑の葉に覆われてしっとりと落ち着いて見える。黒板塀の武家屋敷街を歩いて公開されている青柳家に入る。

 青柳家は立派な格式のある薬医門を入ると正面に母屋があるが、それ以外に3千坪の邸内に武器倉、武家道具館、青柳庵、秋田郷土館、ハイカラ館などの建物があり、それぞれ展示室や食事室などに使用されている。またそれ以外に小野田直武像という石製の胸像があり、またその事績を描いた挿絵が展示されていた。

 小野田直武は平賀源内に師事して西洋の陰影による画法を学び、それを日本画に応用した秋田蘭画を完成させた人物だが、32歳の若さで亡くなっている。青柳家とは婚姻関係にあったと云われる。彼が25才で江戸勤務の時、源内の推薦で杉田玄白が「ターヘル・アナトミア」を「解體新書」として翻訳した時にその挿絵を描いた。その「ターヘル・アナトミア」と「解體新書」の初版本が青柳家のハイカラ館に展示されている。
 

6.小岩井農場

 角館から国道46号線を盛岡に戻る。途中小岩井農場に立ち寄り、この年(平成19年)放送のNHK朝ドラ「どんと晴れ」で有名になった一本桜を見た。桜の季節は終わったのであまり見る人はいなかったが、桜の頃は駐車場に入り切れないほどだったという。花は無かったが、岩手山をバックにした一本桜は山に負けない存在感があった。

 小岩井農場の名は、共同創始者の小野義真(日本鉄道会社副社長)、岩崎彌之助(三菱社社長)、井上勝(鉄道庁長官)の頭文字から名付けられた。天気も良く、まきば園は大勢の家族連れや遠足の小中学生などで賑やかだった。花も黄色い絨毯を敷き詰めたような満開の菜の花畑やこれも見ごろのチューリップなどが沢山咲いていた。

 夕方4時に盛岡駅に戻りレンタカーを返却して新幹線に乗り帰宅の途に就いた。レンタカーのホンダフィットの走行距離は424kmだった。今回は主目的だった奥入瀬の新緑が充分に堪能できたのが最大の収穫だったが、他にもゴールデン明けのせいもあって温泉宿は2泊とも宿泊客が殆んど居らず、行楽地も混み合うこと無く、のんびりゆっくり過ごせたのも良かった。天候にも恵まれて残雪の山々や遠くの景色も見渡せ、快適なドライブも楽しめた。角館では殆んど世に知られていない小野田直武という画家の事跡を学んだりして、全体としても大いに満足できる旅だった。
(H19-5-23訪)

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