四国4日間の旅 (2)  琴平金毘羅さん イバイチの
旅のつれづれ


2.琴平金毘羅宮

 小豆島草壁港からフェリーで高松港に向かう。1時間10分の船旅である。新岡山港から土庄港までのフェリーは両備フェリーだったが、草壁港からは内海フェリーである。小豆島には7カ所のフェリーポートがあり、高松、岡山以外にも宇野、日生、姫路、神戸からの便がある。高松港からのフェリーは土庄港に四国フェリー、小豆島急行フェリーが、池田港に国際フェリーが、そして草壁港に内海フェリーが就航しており、就航便数も最大で小豆島は四国、特に高松市と密接なつながりがあると実感する。静かな海面を滑るように近くの島々や行き交う船を眺めながらフェリーは進む。前日より小振りの島が多く、漁船なども多く見える。(写真は出航したフェリー後部、海上の船3景)

 やがて四国一高いランドマークになっている30階建ての高松シンボルタワー前のサンポート高松フェリー乗り場に12時丁度に着いた。港近くに玉藻公園という「史跡高松城跡」がある。戦国時代に羽柴秀吉の水攻めで知られた高松城跡は、ここでは無く岡山県の備中高松城跡である。備中高松城の水攻めを献策したのは来年の平成26年大河ドラマの主人公になる黒田官兵衛である。讃岐高松城は、讃岐の領主になった生駒親正が、同じく黒田官兵衛の設計により築いた日本三大水城(海城)の一つである。[あとの二つの水城は今治城、中津城] (写真は瀬戸内の島2景、船室から臨む高松シンボルタワー、高松フェリーポートを臨む)

 生駒家の後、水戸徳川家の松平頼重が常陸下館藩から転封されて明治初めまで続いた。頼重は水戸藩主になった徳川光圀の兄である。光圀は兄の頼重が水戸藩を継げなかったことを負い目に感じて頼重の実子の徳川綱條を養嗣子に迎えて水戸藩の家督を継がせた。また頼重は光圀の実子松平頼常を養嗣子に迎えて高松藩の家督を継がせたというエピソードがあり、また高松市の栗林(りつりん)公園は水戸偕楽園を含む日本三名園に次ぐ庭園であることも含めて、水戸市在住の小生としては高松に親近感を覚えるのである。(写真は高松城、栗林公園−2枚ともウィキペディアからのコピー)

 瀬戸内海では瀬戸内国際芸術祭2013というイベントをやっている。3年に一度の開催で第1回が2010年に開催され今年が第2回目である。しかし旅行に行った日が夏会期の7月20日〜9月1日、秋会期が10月5日〜11月4日までという会期から外れていたため、小豆島などにある作品は見られなかったが、ガイドが「高松港には恒久の作品が展示してあり、あれがそうです」とバスで移動中に言ってくれ、あわててカメラを向けたが急な事でその一部だけ辛うじて写せた。別に正面からの写真を入手できたので見て貰いたい。(写真は高松港の一部、展示してある作品)
                                                top↑

 バスは栗林公園の脇を通り琴平町に向かう。金毘羅宮参詣する前の腹ごしらえのため、温泉のある琴参閣という所で昼食を食べる。昼食にしては豪華な料理だったので、これから長い階段を上がるのにと思いながらビールを頼んだ。(写真は豪華な昼食)

「さぬきのこんぴらさん」と呼ばれ海の守護神として親しまれている琴平金毘羅宮は象頭(ぞうず)山という520mはどの山にあり、表参道入口から中腹にある御本宮まで785段の石段がある。更にその上にある奥社までは表参道入口から1368段あるという。昼食後13時40分から15時30分まで1時間50分の参詣時間を貰ったので、何とか御本宮には参詣できるかなと思い歩き始めた。普通に歩いて往復1時間半が目安だそうである。
 表参道入口から土産物屋が軒を連ねる石段を365段上がった所に大門がある。まだ暑く最高気温が28.8度ある日で汗びっしょりになる。ここまで石段かごがあって駕籠で運んでくれ、料金は5300円である。乗っている人は見かけなかったが帰りには3200円とかで、太った男性が乗って降りて行った。(写真は金毘羅宮案内マップ、土産物屋が並ぶ表参道、大門間近の石段)

 大門は前述の徳川光圀の兄である初代高松藩主・松平頼重が寄進したものである。この門が境内入口になる。大門をくぐると五人百姓という大きな傘をさして飴を売る5軒の露店がある。古くから金毘羅宮の神事に協力していた先祖がいたため、大門の内側にはこの五人百姓の子孫だけが店を出すことを許されているのである。(写真は大門2景、境内入口から五人百姓の露天と桜の馬場を臨む)

その先には暫らく石畳みの通りが続く。この通りの両側には桜が植えられており、桜の馬場と名付けられ春は桜のトンネルになるそうである。その後また石段が続くが境内に入ってから参道に沿って壱百万円也とか金一封とかの奉納金と名前を刻んだ石板が林立している。これらの多くの寄付によって金毘羅宮の壮大な建築物などが建造され、維持されているいるのである。(写真は名前を刻んだ石板群2景)
                                                top↑

 400段目に宝物館があり、628段目に旭社という大きな社がある。この建物は総欅二重入母屋造という構造で200年前の天保八年に建てられたものだそうで、重要文化財である。むかし森の石松が御本宮と間違えて刀を奉納して引き返したという言い伝えがあり、宝物館にその刀が展示されているという。(写真は旭社)

 旭社から右折し、手水舎の先を左折すると急な階段になり、785段を登り切ると立派な御本宮の前に出る。疲れと共にやっと登ってきたとの感慨が生まれる。(写真は御本宮前の急な石段、御本宮正面と拝殿、東側からの御本宮)

 展望台からは讃岐富士を中心に讃岐平野や近くの琴平の風景が見渡せ、心地よい風が吹き抜ける。(写真は讃岐富士方面と事平方面の風景)

 御本宮の近くに絵馬堂がある。金毘羅宮は海の守護神なので、船の航海安全祈願の大きな絵馬から、ふつうの小さい絵馬まで沢山ある。日本で最初に宇宙に行った宇宙飛行士の秋山豐寛氏の安全祈願の絵馬や「太平洋ひとりぼっち」の堀江謙一氏が乗ったモルツ・マーメイド号が奉納されていた。秋山氏は1990年にソ連の宇宙船ソユーズの乗組員として宇宙に行ったのだが、当初の予定では毛利衛氏のアメリカのスペースシャトルでの飛行が日本人初になる筈だった。しかし1986年のシャトルの事故でスペースシャトルエンデバー打ち上げが1992年に延期されたため、秋山氏が日本人初の宇宙に行った宇宙飛行士になったのである。(写真は絵馬堂全景[ウィキペディアよりコピー]、絵馬堂内部2景)

 絵馬堂の前から石段を下ると旭社に出られる。そこから往路で登ってきた石段を下るのだが山を降りるときの様な坂道では無いので、足への衝撃が吸収されずだいぶ疲れる。その後の2,3日は足が痛かった。疲れた足を引きずりながら出発点に戻りソフトクリームを食べて一息つく。専用バスのメンバーは一人の落後者も無く、定刻の15時30分に宿泊地の高知市に向けて出発した。
                                               top↑
(以下次号)


注) 写真をクリックすると大きくなります。


     前ページ       


イバイチの
 奥の細道
  漫遊紀行



イバイチ
 旅の小窓


イバイチ
 
関東・茨城散歩


イバイチ
 
甲信 旅巡り

イバイチ みちのく.えぞ探訪

イバイチ
 関西の旅




イバイチ
フォトギャラリ-