裏銀座,槍穂高縦走 イバイチの
旅のつれづれ


 遥かなる山旅の想い出、2回目は裏銀座から槍ヶ岳に行き、更に穂高まで縦走した記録である。
 今年(平成24年(2012))から53年前の昔、昭和34年(1959)7月14日から18日まで4泊5日の日程で鷲羽,双六の裏銀座から槍ヶ岳,穂高岳への縦走を行った。いつも同行するS君やT君がそれぞれ仕事の都合で休める日が合わなかったので単独行である。

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 まず大糸線信濃大町から七倉までバスで行き、そこから烏帽子岳を目指して歩き始める。今は高瀬川の上流に高瀬ダムが出来てそこまでタクシーで行けるそうでだいぶ楽になったようだ。七倉からの烏帽子岳への長いアプローチはブナ立尾根という北アルプス3大急登の一つといわれる急坂が続く。同じような曲り道が何回も繰り返す登山道をもくもくと歩く。天気は曇りで尾根に登っても遠方の山は見えないが、残雪の縦走路が続く裏銀座の山並みは見通せた。烏帽子小屋に着いてリュックを置き烏帽子岳に登る。烏帽子岳(2,627m)は硯石状の岩がいくつも積み重なったような山容をしている。小屋に戻る途中のガレ場に駒草が咲いていた。

 翌朝、曇天の中を烏帽子岳から槍ヶ岳に続く「裏銀座縦走コース」を踏破すべく出発する。燕岳から槍ヶ岳に至る「北アルプス銀座コース」に対抗して作られたといわれている尾根伝いのコースである。烏帽子岳から連なる野口五郎岳(2,924m)辺りから雲が低くなり次に踏破する鷲羽岳(2,924m)付近から雨になった。視界も悪くなり、晴れれば眼下に鷲羽池が見下ろせる筈なのだが何も見えない。鷲羽岳から雲の平への径を進む頃、風雨が激しくなり、ただひたすらに細い径を見詰めながら歩くうちに何時の間にか庭園風の湿原に出た。ここが雲の平かと思ったが素晴らしいはずの雲上の庭園と称された景色は見えず、沢山ある踏み跡を迷いながら進み、やがて三俣山荘に辿り着いた。(写真は左からおにぎりを頬張る〈場所不明〉、先行のパーティが行く〈場所不明〉)

 翌日も曇天の中を出発する。振り返れば昨日全然見えなかった鷲羽岳などの山々が見送ってくれている。あまり高低差の無い縦走路を進み、三俣蓮華岳(2,841m),双六岳(2,860m)に登る。双六小屋を過ぎるあたりからようやく天候が回復し、前方に槍ヶ岳の尖った穂先が見えてきた。(写真は左から鷲羽岳方面、双六小屋)

 歩く毎に大きくなる槍の穂先を眺めながら西鎌尾根を行く頃はすっかり雲がとれて青空になった。山襞に残雪をちりばめて聳り立つ槍ヶ岳は何時まで見ていても見飽きることが無い。今までの雨天,曇天の憂鬱な気分はすっかり溶けて、今からそこに行くのだという恋人が待つ場所に出かけるような胸のふくらみを感じ、足取りも軽くなって行く。

 やがて槍の肩にある槍ヶ岳山荘に着いた。裏銀座の縦走路はあまり人とは出合わなかったが、ここは若い女性が多く居て賑やかである。荷物を預け早速鉄の梯子を登って槍の穂先に立つ。山頂(3,180m)に据え付けられた本物の槍の穂先の下で、3日前から大事に持って来た発売されたばかりの缶ビールを喜び勇んで開けた。ところがここは三千米の高山で気圧が低いため、勢いよく泡が吹き上げて慌ててふたを押さえたが半分は吹き出してしまった。しかし残ったビールのうまかったこと!(写真は槍ヶ岳山頂で)  

  槍の穂先でビールを開ければ   泡が飛び出しビーショビショ
     ニコニコ笑顔でひと飲みすれば  つらい思いは消えて去る

 風もなく快晴の山頂で2時間も眺望を楽しんだ。アルプス銀座の大天井岳や常念岳,蝶ヶ岳、一昨日から辿ってきた烏帽子岳から鷲羽,三俣蓮華,双六岳と続く裏銀座の山々、その先には立山,白馬も見える。そして明日登る予定の穂高連峰から乗鞍岳,御岳まで見渡せる。山頂まで登ってくる人も多いが、混雑するほどではない。今ではあの狭い穂先で2時間ものうのうとしていることは考えられないかもしれないが、50年前はそうだった。(写真はアルプス銀座、右端の三角錐の山が常念岳である。右側はは裏銀座の山々)

 小槍ではロッククライミングをしているパーティがあった。やがて東の山並に黒い影を落しながら夕日が沈む。山荘前から見る常念岳だけが赤く浮かんでいるがそれも束の間に日差しはみる間に消えてゆく。3千米の山頂の壮大な夕暮れ、この天気が明日も続くように胸の中で祈る。(写真左は小槍、右は夕暮れの常念岳)

 槍ヶ岳山荘では久しぶりにうまいご飯が食べられた。烏帽子,三俣蓮華の小屋では圧力釜が無いのか、がんだ飯だつたがここは違っていた。布団も揃っていて久しぶりにぐっすり眠れた。この頃の登山では米を持参して宿賃の他に米を出して食事にありついたのである。

 翌朝は昨日の祈りが通じたかすっかり晴れ渡っていた。心も軽く出発し中ノ岳,南岳を過ぎると眼下に大キレットが深くえぐられているのが見えてくる。そしてその先には北穂高の鋭い岩壁が圧倒するように聳えており、そこまでのるんるん気分も消え失せ、キレットの降り口で、しばらくは腰を下ろして眺めるばかりだった。

 やがて覚悟を決めてそろそろと大キレットを降って行く。このあたりからもろい岩石が増え、北穂高岳の登りにかかる辺りは見ているだけでも恐怖感を覚えるような巨大な岩壁が聳り立つ。一歩づつ足を踏み締め、浮き石を手で確かめ、神経を集中させながら慎重に両手両足を使い登って行く。何時も落石の響きが絶えず、累々と岩屑が群がる滝谷を見下ろせば、冷たい風が吹き上げてきて「氷壁」の主人公が落石に撃たれて遭難した場面を思い出す。(写真は先行のパーティの悪戦苦闘)

 時々ガスが降りて来て緊張感が更に高まる。岩壁の隙間の踏み跡を伝って横に巻いたり、時には下に降りたりしながら最後の急な岩壁を登り、やっと北穂小屋の前に出る。振り返ると滝谷の深く落ち込んだ谷を左手にして大キレットの先に槍ヶ岳が雲の切れ目にその偉容を見せている。最大の難所を通り抜けた安堵感で腰を下しほっと一息いれる。やがて前方の縦走路を見ると唐沢岳から奥穂高岳に連なる稜線が、灰色の崩れ落ちそうな岩肌を見せている。その物凄い岩稜を越さぬと奥穂への道は開けず、またまた新たな緊張感を覚える。(写真は北穂小屋前の岩場からの大キレット方面、唐沢岳方面、北穂からの縦走路)

 北穂高岳山頂(3,100m)からの景観も素晴らしい。唐沢岳の稜線に雲が湧き左手には前穂の七つのピークが立ち並ぶ。カール状の涸沢には雪渓が長く伸び、グリセードをする人が豆粒のように見える。涸沢の底には色とりどりのテントが設置されていて、そこから奥穂への登山道をいくつかのパーティが登るのが見える。しばらく休憩して青い空と灰色の岸壁と白い雪渓で構成され、日本離れのした風景を堪能した。(写真は前穂方面)

 やがて奥穂に向かう唐沢岳(3,103m)の尾根道を慎重に進み夕刻になり奥穂小屋に着いた。登山客が混み合っている中で寝場所を確保し外に出る。ここの夕映えは冷え冷えとして、吹き上がる風の音もなくなり静寂そのものである。雪渓を踏んで涸沢に降りて行く8人ほどのパーティの後姿が印象に残る。前穂から明神岳に続く尾根も岩肌はもろい岩石で、上高地から見た威容とは違った感じで薄暗く夕暮れに沈んでいった。

 翌日は天気が悪く、早朝ガスの中を日本第3の高峰である奥穂高岳(3,190m)に登った。晴れれば素晴らしい展望が見られる筈だったがあいにく何も見えない。早々に小屋に戻り前穂の吊り尾根から岳沢に向かって下りに下る。

 やがて懐かしい梓川のせせらぎに迎えられ河童橋から穂高を見ると中腹から上はすっかりガスの中である。川岸に腰を下ろし今回の山旅の思い出を反芻したとき、初めてぐったりとした疲労を覚え、倦怠感と達成感,満足感が一体になり全身を包み込んだ。
 

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思い出の山旅


1白根三山縦走
 

2裏銀座,槍穂高  縦走

3尾瀬から
   会津駒へ


4後立山縦走

5仙丈,甲斐駒,  鳳凰

6奥秩父主峰縦走

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