'09 山梨桜桃紀行

 今年(平成21年)4月初旬、山梨に旅をした。この季節は中央道の塩山インターを過ぎた辺りから双葉SAまでの甲府盆地一帯は桃の花でピンク一色に染まり、雪がまだ多く残る遠景の南アルプス・八ヶ岳と共に素晴らしい眺望が広がる。また北杜市(旧武川村)にある山高神代桜を初めとして桜の見所も多い。桃と桜を満喫した旅だった。

[1.一宮桃畑と新府桃源郷]

4月上旬から中旬、中央自動車道の笹子トンネルを抜け勝沼を過ぎると甲府盆地一帯は桃の花のピンク色で染められる。染井吉野から1 週間ぐらい遅れて約60万本あるという桃の木が満開を迎える。
 2004年に石和町、御坂町、一宮町などの桃の産地 6町村が合併して笛吹市になったが、一宮御坂 あたりがその中心地である。高速道路を降り、見わたす限り桃の花の農道をのんびり歩くと日ごろの疲れも吹っ飛んでしまうのは間違いない。



 甲府市の先の韮崎市にも新府桃源郷という桃の名所がある。ここは標高が少し高くて笛吹市より少し遅れて咲くが南アルプスが背景になるので眺めが良い。まだ蕾が多い木に農家の人がビニール傘を逆さに引っ掛けて花を摘む作業をしているので、何をしているのか聞いたら受粉させるための花粉を取っているとのことで、蕾のうちに採らないとまずいのだそうである。




[2.大法師公園の桜]

 鰍沢町にある大法師公園は日本さくら名所百選にも選ばれている桜の名所である。鰍沢町とはあまり聞きなれない名だが、甲府からは身延町の手前にある富士川に沿った山間の町で、鰍(かじか)は少なくなったが町を流れる大柳川渓谷には多くの滝があり、大小10本ある吊橋が景観をいっそう引き立てているそうである。
 隣の身延町には久遠寺の境内にすばらしい枝垂れ桜があるのだが、満開は過ぎた様子でありまた渋滞にも巻き込まれそうな気がしたので敬遠し、大法師公園の桜を見ることにした。桜まつりは前日で終っていたが、花はまだ散り始めたばかりで大勢の花見客が来ていた。
 ここは茨城県日立市の神峰公園のように、山の斜面と山頂付近に染井吉野が約2,000本植えられているが、色が濃い枝垂れ桜もあって白っぽい染井吉野に彩を添えている。町では今も桜の植林を進めて大法師と鰍沢の知名度を上げようとしているそうである。山頂の展望テラスから眺めると満開の桜の上に富士が思いがけず大きな姿を見せて、桜にさらに花を添えていた。

[3.わに塚の桜]

 韮崎市武田八幡宮の近くにわに塚の桜という樹齢300年のエドヒガンの巨木がある。その見事な樹形から郵政省のさくらメールポスターにも採用されたとかで、最近とみに有名になった桜である。 「わに塚」は甲斐国誌に「塚の形、神前にかかる鰐口に似たり---」とあり、また土地の口碑によれば、日本武尊の王子武田王が葬られた「王仁(わに)塚」があった場所であると伝えられている。武田王は武田武大神として近くにある武田八幡宮に合祀されており、後に源太郎信義がこの地で姓を源から武田に改め武田氏を起こす因になったといわれている。




 武田家の起源は八幡太郎義家の弟森羅三郎義光とされている。義光の子、武田冠者源義清は常陸国那珂郡武田郷(茨城県ひたちなか市)に住んでいたが、義清の嫡男清光の乱暴が原因で父子は常陸を追放され、甲斐国へ配流されたという。清光は逸見氏を名乗っていたが、その子信義は近くの武田八幡宮において元服を行い、その際に姓を武田と称し甲斐武田の祖になり、武田八幡神社はそれ以来甲斐武田の氏神になったのである。時は源平合戦の頃で、その15代後の戦国時代に武田信玄が登場する。
 わに塚の桜の背景には八ヶ岳連峰が雪を頂いている姿が浮かび、まさに絵のように美しいコントラストを見せている
 (写真は武田八幡神社と八ヶ岳)


[4.山高神代桜]

  ご承知の方も多いと思うが、三春滝桜、山高神代桜、根尾谷薄墨桜が日本3大桜と呼ばれている。いずれも 1922年(大正11年)に桜として初めて国の天然記念物に指定されているが、その中でも山高神代桜は樹齢2,000年ともいわれるエドヒガンの古木である。因みに根尾谷薄墨桜は樹齢 1,500年のエドヒガン、三春滝桜は樹齢1,000年の紅しだれである。
 神代桜は北杜市武川町の大津山実相寺という寺の境内にある。山門を入ると左手に水仙畑が並び、黄色いじゅうたんの様な水仙の花がピンクの桜を映して鮮やかである。遠景には雪をかぶった南ア甲斐駒ケ岳から鳳凰三山への山々が連なり、晴れていれば紺碧の空をバックに純白のスカイラインを見せてくれる。



 参道を行くと2本の石柱があり右側の石柱の右手に身延山久遠寺の枝垂れ桜から分けられた子桜が40年以上の樹齢になり、堂々たる樹容で咲き誇っている。この寺の境内には全国名木の子桜が植えられており、神代桜の子桜をはじめとして滝桜、薄墨桜、身延山しだれ桜のほかにも山形の久保桜、飛騨高山の臥竜桜など多くの名木の子 桜が植えられている。






 これらの桜の間を通り、正面の本堂から左手に曲がった奥に神代桜がある。幹回り 13.5メートルの巨木であるが昭和34年の台風によって主幹が折れ、高さは以前の半分以下の樹形になってしまった。その後も樹勢が衰え枯死するのではないかと危ぶまれたが、平成14年から樹勢回復のための土壌改良工事を主とした再生事業を 4年間に亘って行った結果、根が伸長するなど回復の方向に向かいつつある。
(写真は現在の桜)




 14年前の平成7年に来た時には主幹の上に腐食が進むのを防止する屋根が張られ、どうなることかと思っていたが、今回はそれも取り払われ、枝張りも良くなっていた。
  (写真は14年前の桜) 
 現在は東西方向に17メートル、南北方向に13メートルと大きく枝を伸ばしている。これは大正時代に測定した値の半分以下でしかないが、一時は余命3年といわれたこの桜が見事に復活して多くの花を付け、見物に来る大勢の人に「凄い桜だな、並みの桜とは風格が違う」と歓声を挙げさせ、また楽しませてくれているのは素晴らしく、有難いことだと深い感慨を持って眺めた。



 今回は、大法師の桜と富士、わに塚の桜と八ヶ岳、神代桜と南アルプスという3ヶ所の桜を見たが、どの桜も白雪に覆われた山々をバックにして美しく咲いていた。山梨県は山に囲まれた国だと改めて思った。

 (H21-4-5〜4-7訪)