八千穂高原から奥飛騨へ
(平成17年10月16日〜10月19日)
第3日(10月18日)
飛騨古川―白川郷 (自家用車で)
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3.飛騨古川
翌朝、国道471号線を飛騨神岡まで行き、富山から来る国道41号線に入り、飛騨古川に行く。新穂高温泉から1時間半の距離である。飛騨古川は平成14年の連続テレビ小説「さくら」の舞台になった所で、飛騨に行ったら是非立ち寄りたいと思っていたのである。
街の中央にある飛騨市役所の駐車場に車を止め、同じ場所にある古川観光案内所からマップを貰う。広い道路を挟んで飛騨古川まつり会館という建物があるが、その先に起し太鼓が展示されていた。この太鼓は毎年4月19日〜20日の行われる古川祭でまつりの開始を告げるために打ち鳴らしたものだが、その太鼓を乗せた櫓に各町内から付け太鼓という小さな太鼓を突入させるという荒々しい祭りで知られているそうである。(写真は展示してある起し太鼓2景)
この辺りは古川町壱之町という街の中心地域で、その少し先に瀬戸川と街という古川の代表的景観のスポットがある。瀬戸川は武家屋敷と町人が住む町の境界として作られた狭い用水路だが、500mも続く川に沿って白壁土蔵や寺の石垣などが立ち並び、川には色とりどりの鯉が泳いでいて、しっとりとした情緒豊かな景観を形づくっている。
(写真は瀬戸川沿いの4景)
瀬戸川と白壁土蔵街から表通りに出ると、テレビ小説「さくら」でヒロインが下宿した三嶋和ろうそく店や150年続く渡辺酒造店、300年続く蒲酒造場などの造り酒屋などが古い街並みを形づくっている。あまり広い街並みでは無いので、1〜2時間ほどで観光できる。人通りはあまり多くなく、静かな風情のある景観を楽しみながら逍遥するのも旅の思い出の一頁である。(写真は三嶋和ろうそく店とその内部、渡辺酒造店、蒲酒造場、お土産店、酒販売店)
街の中ほどに市内随一の大きさを誇る本光寺がある。この寺に「あゝ野麦峠」の一節を刻んだ碑があった。明治から大正にかけて、飛騨地方の貧農の娘達は、長途野麦街道を徒歩で信州の製糸工場へ働きに行った。
まず古川、高山の町に集まり、工場毎の集団になって、美女峠を越え、寺附(朝日村)又は中之宿(高根村)で1泊し、難所野麦峠(標高1672m)を越えて信州に入り、奈川村のどこかの集落の宿に泊まり、奈川渡を経て、島々(安曇村)又は波田(波田町)に泊まって、塩尻峠を越えて諏訪地方にだいたい3泊4日の行程で行ったのである。
川向うにあるのは「八ツ三館(やつさんかん)」という古川一の旅館である。この旅館は飛騨北部地方の工女の集結地の旅館の一つで、古川・高山地区で唯一当時の建物が残っており、製糸工場の検番たちが工女を募集する根拠地でもあり、工女の荷物の集散までやっていた。野麦峠については「野麦峠から乗鞍高原へ1」にも書いているので、是非読んでほしい。(写真は野麦峠の文学碑、対岸の建物は八ツ三館)
4.白川郷
古川から北上して国道360号線に出る。この道は富山県の飛騨中山で国道41号線と別れて白川郷まで続くのだが、酷道360号といわれるほど悪路の連続で、通行止めもしょっちゅうある道路だそうである。前夜泊まった中尾温泉でも通れるかどうか分からないと言われ不安だったが、飛騨古川で聞いたら通れると言われたので安心して走行出来た。途中にある天生(あもう)峠が難所だと聞いたのだがあまり印象に残らず通り過ぎ、白川郷に正午前に到着した。飛騨古川から約1時間の距離である。(写真はコスモス咲く白川郷の民家2景)
白川郷は1995年(平成7年)に世界遺産に登録され、2002年(平成14年)に東海北陸道が白川郷ICまで開通したので富山方面からの観光客が急増した。小生が訪れたのはその3年後の平成17年だったが観光客は随分多いと感じられた。東海北陸道はその後2008年(平成20年)に全線開通したので、現在は更に多くの観光客で賑わっているだろう。(写真は白川郷4景)
白川郷では荻町の合掌造り集落を散策した。明善寺という寺があるが、入口には鐘楼門という2階に鐘楼がある茅葺きの山門があり、本堂も茅葺きだった。他にも多くの合掌造りの民家が立ち並び、秋の草花に囲まれて白川郷ならではの風景が広がっていた。
(写真は明善寺山門、参道、本堂、付近の民家)
(以下次号)
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