下北・花巻紀行 (1)  斗南藩   イバイチの
旅のつれづれ


1. 出発から斗南藩のことなど

(1)出発まで
 平成23年6月23日〜7月5日の利用期間の「大人の休日倶楽部パス(新青森開業記念)」が発売された。今回は従来よりも1日増え4日間JR東日本全線の新幹線特急を含む列車の普通車が乗り放題で指定席も6回まで利用できるというもので価格も13,000円と1,000円増しになっている。今回は函館までと金沢、福井までのものは含まれておらず、8月に金沢、福井まで含んだものが4日間15,000円、北海道全線を含んだものが5日間23,000円と大幅値上げで発売されるということで、JRも計算高くなってきたものだ。

 昨年1月にこの「大人の休日倶楽部パス」を利用して青森から弘前に行き、その後5月に桜を見に弘前から五所川原と津軽方面に行ったので今回は同じ青森の下北半島に行くことにした。震災で東北に行く人が減ったという報道があったので、少しは足しになるかという気持ちもあった。

 下北に行くのなら恐山と仏が浦は外せないので「びゅうばす最北号」という大間岬から仏が浦遊覧を含む観光周遊バスを予約することにした。恐山には適当な時間の周遊バスが無く、路線バスで行くことにした。

 水戸から下北半島の大湊までは常磐線で上野まで出て、東北新幹線で青森まで乗り 「リゾートあすなろ」 で大湊線を行くので、水戸を朝6時に出て午後3時にやっと到着する。ホテルは翌日朝の大湊駅前発の 「びゅうばす最北号」 に乗るつもりで大湊駅前にある 「フォルクローロ大湊」 を予約した。このバスは大湊駅を出発して下北駅が到着点なので、2日目は翌日の恐山行のバスが出る下北駅前の「むつプラザホテル」を予約した。

 当初2泊3日の積りだったが有効期限が4日間なので、どこかに寄り道しようと思い、最後は温泉に入ろうと花巻温泉に寄ることにした。旅館予約はすべて「じゃらん」のインターネット予約である。

 翌日水戸駅のビュープラザに 「大人の休日倶楽部パス」 を購入に行ったら、東北新幹線は以外にも希望した日(日曜日だったが)は満席になっていた。今まで何回か利用していたが満席で買えないのは初めてだった。今年は東北方面への旅行客は少ないと聞いていたので意外感は大きかった。最近は「大人の休日倶楽部パス」の利用が増えたのかもしれない。そのためのJRも秋には高くした商品を出してきたのかとも思った。念のため前日の土曜日の予約状況を聞いたらこれも満席とのことだった。

 仕方が無いので、翌日の月曜日に変更したがこれも窓側は満席で3人掛けの通路側しか空いていなかった。ホテルの方も変更が必要なので「フォルクローロ大湊」を調べたら月曜日は満員で予約が取れなかった。そのため「びゅうばす最北号」が停車するホテルを調べ温泉のある「むつグランドホテル」に予約を取り直した。当初の宿泊費は日曜日で平日より20%引きのため朝食付きで5,040円だったが「むつグランドホテル」は朝食付き7,560円と温泉があるにしても大分割高になった。

(2)大湊へ
 当日は、水戸から6時08分発の特急で上野まで行き、上野発8時02分の新幹線に乗る。新青森には12時33分に到着した。
 新青森駅を「リゾートあすなろ」の発着するホームから見ると新幹線の始終点駅という重厚な感じがせず新設された電車の駅のような軽さがある。「リゾートあすなろ」の車内では地元の男女といういでたちで駅弁売り子のようなスタイルで地産品の販売などをしている。

 新青森駅を13時14分に発車した「リゾートあすなろ」 は15時03分に大湊駅に着いた。大湊駅は吉永小百合のポスターで話題になった大湊線の終点駅である。(写真はポスターと大湊駅前)

 むつ市は大湊町と田名部(たなぶ)町が合併して大湊田名部市となり更にむつ市になったもので、現在は他の町村を併合したため下北半島の半分以上の面積を占め、青森県一の大きな市になった。旧大湊町は江戸時代には湊として栄え、明治以後は天然の良港として軍港になったため太平洋戦争では空爆に見舞われている。現在は海上自衛隊の基地として自衛艦が停泊し、また一時期原子力船「むつ」の母港になったところでもある。

(3)斗南藩について
 旧田名部町は幕末の戊辰戦争で朝敵にされた会津藩が領地を没収された後、下北半島の大部分と三戸付近を領有地とする斗南(となみ)藩として再興が許された。その時に藩庁が置かれた場所である。明治3年に会津若松から新潟に出て、日本海周りの海路で移住してきた藩士とその家族の一団1,800人が上陸した地点が大湊駅近くにあり、「斗南藩士上陸の地」として記念碑が建てられている。

 「むつグランドホテル」には美人の湯「斗南温泉」が別棟にあり立寄り湯として宿泊客以外にも開放されているが斗南藩との係わりは無く、近くにある斗南ヶ丘公園への案内マップなども無かった。はるばる本州の最北の地に来たのであり斗南藩のことも少しは知りたいと思った。
 翌朝早くフロント近くに菊池さんという年配のおじさんが居たので斗南ヶ丘公園への道筋を聞くと、歩くと10分ほど掛かるからと親切にも車で案内してくれるという。好意を有難く受けて朝食時間前に帰ろうと直ぐに出かけた。

 斗南藩士はおよそ2,800戸17,300人余りが移住したといわれる。藩庁を田名部の円通寺という寺に置き、郊外の妙見平という丘陵地帯を開墾し市街地として140棟余りの住居を建設したが、移住してから一年後の明治4年に廃藩置県が行われて斗南県になった。さらに弘前県に合併され政府の援助も無くなるなどしたので生活が破綻し、明治6年には50戸を残して散りじりになったという。

 その住宅があった場所はその後斗南ヶ丘公園として整備され昭和11年に秩父宮夫妻が巡遊された記念碑などが建てられている。因みに秩父宮雍仁(やすひと)親王妃の勢津子さんは幕末の会津藩主松平容保(かたもり)の孫である。

 菊池さんはこの辺りの歴史に詳しく、斗南藩の藩主になった松平容大(かたはる)が幼少だったので、山川浩という人が全責任を持って移住を進めたことやむつ市市街地の後ろにそびえる釜臥山を磐梯山に見立てて会津を偲んだこと、更にその後もここに残った人の苦難に満ちた生活の話などをしてくれた。

 また8月に行われる田名部祭りについて、ホテルに保管してあるまつりの山車や田名部ねぶたの前でその歴史を説明してくれるなど、旅人を歓待しようとする気持ちが溢れていて大変有難く、また好感が持てた。

(H23-6-27〜6-28訪)

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