紅葉の湖西逍遥 (3)   日吉大社 イバイチの
旅のつれづれ


 紅葉の湖西逍遥
    (平成20年11月21日〜11月22日)

   第1日
     石山寺―義仲寺―三井寺―琵琶湖ホテル(泊)
                 かど萬(近江牛)
   第2日
     日吉大社―滋賀院門跡
  
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4.日吉大社

 旅の最後は日吉大社の紅葉見物である。琵琶湖ホテルを9時半に出て電車で京阪坂本まで行き、タクシーで10時40分ごろ日吉大社に到着した。今回はレンタカーを使わず、電車とタクシーで移動したため、大きな荷物を駅のロッカーに入れたり、電車の待ち合わせなどに余分な時間が掛かってしまった。

 日吉大社は全国に3,800以上あるといわれる日吉神社、日枝神社の総本宮である。比叡山延暦寺との関係が深く、平安時代末期に比叡山の僧兵が、強訴の時担ぎ出したのは日吉大社の神輿である。その後織田信長の比叡山焼き討ちにより日吉大社も灰燼に帰した。その後豊臣秀吉が幼名を日吉丸と言ったこともあって復興に尽力し、その時再建した堂宇が現在に残っている。また比叡山に多く生息していた猿が魔除けの象徴とされ、日吉大社の神の使いとして「神猿(まさる)」という名で尊崇されたことも秀吉が尽力した一因といわれている。(写真は日吉大社入口付近の紅葉2景)

  日吉大社には約3,000本のモミジやカエデがあり、滋賀県随一の紅葉の名所である。入口の大鳥居をくぐると、もう赤や黄色の木々の連続である。西本宮に続く参道を行くと日吉三橋の一つである大宮橋(重文)がある。(写真は大宮橋付近の紅葉4景)

 日吉三橋とはこの西本宮に向かう大宮橋と東本宮に向かう二宮橋(重文)と、山王祭のお祓いの時に渡る走井橋(重文)の三橋を言うのであるが、大宮橋周辺の紅葉が最も素晴らしい。なだらかな坂道を行くと山王鳥居がある。鳥居の上部に三角形の合掌を表す部分があり、「合掌鳥居」と呼ばれるそうである。(写真は合掌鳥居と付近の紅葉4景)

 丁度紅葉の真っ盛りの参道を行くと右手に西本宮楼門(重文)がある。楼門をくぐると西本宮拝殿(重文)を経て西本宮本殿(国宝)に進む。日吉大社は西と東の二つの本宮があるが、西本宮の方が格上らしい。両方とも日吉(ひえ)造りという独特の形で造られている。両本宮とも楼門、拝殿、本殿の構成になっており、本殿は両宮とも国宝になっている。(写真は西本宮楼門と西本宮本殿2景)

 西本宮から東本宮に行く道筋に宇佐宮と白山宮という本宮に次ぐ摂社と呼ばれる社がある。それぞれ同じような造りの拝殿と本殿があり全て重要文化財になっている。この辺りは訪れる人も少ないので、暫らくのんびりと休んだ。(写真は宇佐宮拝殿、宇佐宮本殿と付近の景観2景)

 今回の旅も4日目の最終日になるため、いささか疲れた。そのため残った東本宮などの参拝は取りやめ、燃えるような紅葉が続く道をゆっくりと散策した後、日吉大社を出て、坂本重要伝統的建造物群保存地区になっている里坊に向かった。(写真は日吉大社出口付近の紅葉4景)


5.滋賀院門跡

 大津市坂本地区は上坂本と下坂本に分けられ、上坂本は延暦寺や日吉大社の門前町として発展した。下坂本は琵琶湖に面し、水運や戦国時代には安土城に次ぐ天下の名城と言われた明智光秀の坂本城があり、その城下町として栄えたが今は見る影もない。

 上坂本は京阪線坂本駅から日吉大社にかけて、参道の両側には延暦寺の里坊群が建ち並び、特徴ある門前町景観を作り出している。里坊とは厳しい自然の比叡山上ではなく、環境穏やかな山麓に作られた僧坊のことで、厳しい修行を終えた老僧たちは、里坊に降りて思い思いの庭園を造り余生を楽しんだ。そのため坂本の里坊では僧侶個々の好みに応じた多種多様な庭園群が残されている。(写真は里坊の一つ)

 また坂本の町並み景観を構成する重要な要素が石垣で、自然のままの石を巧みに積み上げる穴太衆積み(あのうしゅうづみ)と呼ばれる技法で作られている。それは延暦寺や安土城を始め、全国に残る約8割の城の石垣工事を行った穴太衆と呼ばれる坂本出身の石工職人たちの手によるもので、そのようにして造られた坂本の町並みは地域的特色があるという事で、「里坊群」「門前町」の重要伝統的建造物群保存地区として選定・保存されている。またとりわけ優れた10の里坊庭園が国の名勝に指定されている。(写真は穴太衆積みの石垣)

 その里坊の一つである「滋賀院門跡」を拝観することにした。滋賀院は坂本にある延暦寺一山の本坊(総里坊)で、皇族代々の天台座主の御座所として、滋賀院御殿とも呼ばれている。ここの穴太衆積み石垣は左右に高く積まれ、その上に白壁の塀が続いているため、城壁のような感じがする。(写真は滋賀院門跡正面[パンフレットより]、左右の穴太衆積み石垣)

 この滋賀院門跡という寺は元和元年(1615)、慈眼大師天海が建立したもので、穴太衆積みの自然石の石垣の上に建つ白土塀と勅使門が良く調和し、風格あるたたずまいだとパンフレットに記されていた。

 門跡(もんせき)とは、皇族・貴族が住職を務める位階の高い寺院の事である。また小堀遠州作と伝えられる滋賀院門跡庭園は国指定の名勝になっている。(写真は紅葉の庭園風景6景)

 庭の一隅に芭蕉の句碑がある。「叡慮にて賑ふ民や庭かまど」というものだが、この句碑は比叡山ケーブルの駅あたりの草むらに打ち捨てられるようにあったのをここに移したとネットを見たら出ていた。嘘か本当か知らないが、この場所にこの句が置かれる必然性は見えてこない。なお本句は「叡慮にて賑わふ民の庭竈」である。(写真は芭蕉句碑)


 滋賀院門跡の奥に慈賀院の創始者である慈眼大師天海を祀った慈眼堂という廟所がある。歴代天台座主の墓もここにあり、燈篭や墓石の並ぶ静寂な境内にも紅葉が美しく映えている。(写真は慈眼堂3景)

拝観後遅い昼食の「日吉そば」を食べてJR坂本駅から京都に向かう。京都発15時35分発のひかりに乗車し、東京、上野を経由し水戸駅到着は20時07分だった。今回の旅は4日間のうち、前半2日は奥の細道をたどる旅だったが、後半2日は大津近辺の紅葉を巡る旅になった。
 近江牛を味わい、日吉大社をはじめとする湖西各所の紅葉を満喫できたことは、ここ何年か季節の移り変わりとは関係なく奥の細道を辿った旅とは、だいぶ違った贅沢な旅だった。平成18年秋の、現在(平成25年早春)から6年少し前の思い出である。

(この項終り)
 
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