澤田瞳子の「輝山」 を読んで
 

2022年3月18日 (金)
  「輝山」(きざん)
             澤田 瞳子  

   徳間書店 
          2021年9月発行



 今回の「輝山」という作品は、「星落ちて、なお」という作品で2021年上半期の直木賞を受賞した澤田 瞳子の受賞後初の作品である。
 澤田 瞳子の作品については平成25年の「夢も定かに」以来15冊読んでおり、平成27年の「若冲」、平成29年の「火定」、令和1年の「落花」のいずれも直木賞候補になった作品を3回取り上げた。しかし受賞は出来ず、令和3年に「星落ちて、なお」という河鍋暁斎の娘について書いた作品で受賞した。

今回の作品は石見銀山で働く人々の物語である。主人公は石見の国大森代官所の中間である金吾で、かっての上役から代官岩田の身辺を探れとの密命を帯び、江戸表から赴いたばかりである。
 大森代官所は、銀の産出地である仙ノ山を擁し、日々掘り出される銀の生産管理から搬出や輸送にも目を光らせる重要な任務を担っていた。

代官所のある大森町の南にある銀山町は仙ノ山の、銀の産出場所であり、堀子のほとんどは銀山町で寝起きをしている。そのため町の間の出入りは厳重で手形を示して検査を受けなければならない。しかし金吾は銀山町であれば、大森では聞けぬうわさ話でも聞けるかもしれないと思い、また銀山町にも飯屋があることが判ったので、知る者のいない銀山町の方がはるかに気楽だろうと早速行ってみることにした。

 銀山で鉱石採掘にあたる堀子達はこぞって気絶(けだえ)と呼ばれる病にかかる。地中の毒気や壁から染み出す水気、間歩(まぶ)=(坑道).に持ち込まれる燭台の上げる油煙や採掘時に出る粉塵を吸い込むうちに罹る物で、これを患うと咳を繰り返し十人のうち九人までが死に至るという。

 そのため、大森町や銀山町界隈には、年配の男の姿が極めて少ない。十歳前後から間歩内の呼び出し係として、また少し長ずれば坑道内で鉱石を運ぶ柄山負(がらやまおい)、大人になれば堀子として鉱石の採掘にあたるこの地の男たちは、皆三十才を過ぎれば一人また一人と気絶に罹り、短い命を終えるからだ。

 ただその一方で堀子の手間賃は一度坑内に入るだけで、銀二匁(現在の5千円くらいか?)と、驚くほど高い。迷路のように入り組んだ間歩を巡り、連絡係を務める手子ですら五分二厘もの銭がもらえるとあって、銀山に入ることをためらう男はこの地ではほぼ皆無だった。

 金吾は銀山町に着くと与平次という男と早速知り合いになり、翌日以後も仕事が終わると毎日のように続けてでかけるのだった。与平次は藤蔵山という山師の堀子頭で堀子たちに慕われる思いやりがある実直な性格で、仕事が終わるとなじみである徳一の店に、堀子たちを連れて酒を飲み、飯を食べに来るのだ。

 翌年の夏になり、石見では痢病(赤痢)が流行り出した。ある時金吾は痢病で子供を亡くした母親を探しに与平次と共にある小さな寺に行った。そこで見たものは大森代官の指示で薬湯を配ってる役人の姿だった。
 やがて月日は過ぎて痢病の嵐は石見代官が内々に行わせた医薬賑恤(しんじゅつ)とその後の江戸表の指示にもとづく医師の派遣の甲斐あって夏の終わりと共に終結した。しかしそれまでの間に領内では死人が相次ぎ銀山町だけでも70余名が命を落とした。
 大森代官所では毎年10月末に一年間に鋳造された灰吹銀を大坂銀座へ送り出すのだが、銀山で働く者が減ればどれだけ頑張っても銀の算出は減る。それゆえ代官所では本年の灰吹銀貢納額ををどうにか減免して貰うべく江戸の勘定書宛に嘆願書をしたためるのであった。

 金吾は岩田代官の失政をかっての上司に報告する罪状が無く、却って民のことを第一に考えている代官の在り方に心を打たれ、無学の足軽の自分も少しは役に立ちたいと仕事の合間を縫って勉学を励むようになった。そして7年の年月が経った頃、大きな事件が起きるのだが、それはこの作品に任せて与平次のことを記したい。

 与平治は一月ほど前から気絶がひどくなり、床で過ごす日々だったが、家から出られなくなってしまったという話を聞き、忙しい代官所の仕事を終わらせてから与平次の家に行ったが、与平次は徳市の店に行くといって聞かないので戸板で運ばせた。というのを聞き、金吾は徳市の店に走った。 

 かって与平次はかりに誰かが死んだとしても、そいつはただ旅に出ただけだ、どこか遠くで元気にやっていると考えればいい、と語っていた。
だが?せ衰えた本人とその苦しみを目の当たりにしながら,そんなのんびりしたことを考えられる者が、この世に幾人いるだろう。
 親しい者の死はそれだけで人の心を苦しめる。去る者がどれだけ親しい人々の平安を願ったとしても、それはどうにも動かしようもない事実なのだ。

 「与平次ッ」大声で呼ばわりながら、金吾は建てつけの悪い板戸を引き開けた。とたんに目に飛び込んできたのは、片付けられた床几に横たえられた与平次の姿だった。
 よう、来たのか、と言いたげに余平次が戸口に突っ立つ金吾にきょろりと目を向けた。なあ、金吾よ、と続けながら、与平次は何時しか店の隅で騒ぎ始めた堀子に目を向けた。逞しい手足をむき出しに飯を食らい、酒を飲むその表情はからりと明るく、灯火を映じて一つ一つの顔が輝いているかのようだった。
 いつもと変わらぬ日々の中に世平次だけが居ない。だがこれから五年十年と日が経てば、あの堀子たちは皆気絶ゆえに死に絶え、いずれは徳市も店を畳む日が来る。かくいう金吾自身もやがては老い、死んでいく。

 人の世に不滅なものなぞ、何もない。もう何百年も昔から多くの堀子たちの生死を眺め続けてきた仙ノ山とて、いずれはすべての銀を掘りつくされ、人の立ち入らぬただの岩山と変わるのだろう。
 そして今、この時間がほんの瞬きほどであると知ればこそ、堀子たちの笑顔は眩しいほど光って映る。

 去り行く人を見送ることは確かに辛い。だがその苦しみはいずれは自分もこの世を去る事実を忘れたゆえの、不遜な苦しみなのだ。誰もが死の定めを逃れられぬ世であればこそ、残された者は限りある命を慈しまねばならぬ。そしてその輝きを目にすることで,此岸を去る者たちは自らの生の美しさをはっきりと悟り得る。
 誰のためでもない、与平次は自らの生涯を愛すればこそ、病身を押して徳市の店にやってきた。これは与平次が最後の生を燃やしきるための行いだったのだ。

この地に来て以来の七年間を金吾は思った。多くの堀子の命を得てなおそびえ立つ仙ノ山。その山深くから切り出される銀の輝きは、もしかしたらこの地に生きる者たちの命の輝きそのものなのではないか。

 与平次の顔に、ぐいと己の顔を近づける。喧騒を増す一方の店内の賑わいに負けまいと、声を張り上げた。「なあ与平次。明日も店に来るんだろう」と。



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(この項終わり)

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