源氏物語(巻一) 瀬戸内寂聴訳     2020年8月21日 (金)
 NHKEテレの日曜美術館での、6月7日から3週連続で「蔵出し日本絵画傑作展名作15選」というのがあった。その1の巻に、平安時代に描かれた「国宝源氏物語絵巻柏木(1)〜(3)」が展示されており、
 (1)は光源氏の正室である女三宮(左側)が内大臣の息子の柏木と密かに通じ薫を出産したがその罪深さに泣きながら出家したいと泣く、そしてその父の朱雀院(中央)が苦悩している様子、そして打ちひしがれる光源氏(中央下)の三者の表情。


 (2)は事の重大さにおののき、重い病にかかった柏木を親友の夕霧が見舞う場面。


 (3)は薫の生後50日の祝いに不義の子、薫を抱く光源氏の表情。

が描かれていた。

 源氏物語はご承知のように西暦1000年ごろに紫式部によって著された日本最古の長編小説だが、高校時代に教わった「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらい給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。」で始まる古文には一寸近寄り難いと敬遠していたが、源氏物語絵巻のこの柏木の巻を見て、ただの雅やかな恋愛小説ではないなと思い、少し読んでみようかと思ったのである。

 もちろん原文ではなく現代語訳されたものだが、近くの図書館にある瀬戸内寂聴訳全10巻のまず第1巻を読もうと、最初の「巻の一」を借りて きた。(写真は左から青海波の表紙、扉、「雨夜の品定め」の口絵)

 紫式部は源氏物語を五十四帖に分けてそれぞれ名前を付けており、「巻の一」には桐壺、帚木、空蝉、夕顔、若紫の五つの帖がある。
 その概要と読後感は次の通りである。

 一帖 桐壺
  帝の寵愛を一身に受ける桐壺更衣は玉のような皇子を出産したが、他の後宮の女たちからの嫌がらせに耐えかねて病に伏せ、やがて亡くなった。母亡き後若宮は再び参内したが、美貌はもとより学問、音楽まで素晴らしい才能を見せる若宮が政争の種になることを恐れ、若宮を臣籍に降し源氏の姓を与えた。
 同じ頃、亡くなった桐壺更衣に生き写しの藤壺の宮が入内し、帝の心を癒し、源氏の君も亡き母の面影を求めた。人々は源氏の君を「光る君」藤壺を「輝く日の宮」と呼び讃えた。
 12才になった源氏は元服し、左大臣の娘(葵の上)と結婚したが、源氏は4歳年上の妻に馴染めず、藤壺への思慕をますます強めて行った。

 この帖では、源氏の両親である帝と桐壺更衣の愛情の深さとともに、光源氏の結婚までが描かれている。文章の合間合間に入る和歌も良く情景を写している。訳者は現代の出来事と同じような筆致で描いているので読み易かった。

二帖 帚木 (源氏17才)
 五月雨の降る夜、源氏の宿直所に若い公達3人が訪れ、中々理想の女性とは巡り合えないという「雨夜の品定め」と呼ばれる女性論を繰り広げる。その中で源氏は縁のなかった中流の女性の魅力を聞き、興味を覚える。
 翌日、源氏は中流の役人の家に行き、中流の女性に興味のあった源氏は受領の妻である「空蝉」という女性と関係を持った。

三帖 空蝉
 その後、空蝉を忘れられない源氏は彼女のつれないあしらいにも却って思いが募り、夜に源氏が寝間に忍び込むと夕顔はそれと察して薄衣だけを脱ぎ捨てて逃げてしまう。源氏はセミの抜け殻の様な着物を抱いて空しく帰路に着いた。
 空蝉の心の葛藤と倫理観が良く表れている。

四帖 夕顔
 源氏は夕顔の花が咲いている粗末な家に住んでいる夕顔と関係を持つようになった。狭い家に嫌気がした源氏はある日、女を廃院をに連れ出したが、その夜、源氏は物の怪に襲われる夢を見て目を覚まし、直ぐに魔除けをさせたが、正気を失った夕顔はそのまま息を引き取った。 悲しみにくれる源氏は瘧(おこり)病を患う。

 この帖では、静かな雰囲気の中、二人だけの逢う瀬を楽しもうとしたが、思わぬことで、女性が亡くなってしまったことに動転したが、なんとか葬儀の手配をしたものの悲しみに打ちひしがれる若い源氏の姿が哀れを誘う。

五帖 若紫 (源氏18才)
 十八才の春、源氏は瘧病に苦しみ、加持祈祷を受けに北山の聖のもとを訪ね、その折可憐な少女(紫の上)を垣間見る。その少女は源氏が恋い焦がれる藤壺の宮に生き写しだった。

 母を亡くし、祖母の尼君に育てられているこの少女は藤壺の宮の兄である兵部卿の娘で藤壺の姪だったことが判った。兵部卿の北の方と少女の母親とは折り合いが悪く、母親はそれを苦にして病気になり亡くなられたということであった。源氏はこの少女を自分の手で育てたいと思うが、尼君からは少女がまだ幼いためと断られる。

 その頃藤壺の宮が体の加減が悪く里に下がった。源氏はこの機会を逃してはもう逢えなくなると思い夢のような逢瀬を持ったが、この密会で藤壺は懐妊してしまう。二人は罪の意識に苛まれる。

 秋になって北山の尼君が亡くなり。残された少女は父親に引き取られることになった。源氏はそれを知って少女を自分の家である二条院に連れ去った。少女は二条院の暮らしに直ぐ馴染み、源氏になついていった。


 「桐壺」の帖では、桐壺帝と桐壺の更衣の間に生まれた源氏は3才で母を亡くし、帝は源氏を引き取り宮中で育てるが、この皇子は帝王の相があるがそうなると国が乱れるとの予言に従い。皇子を臣下に降して源氏の姓を賜ったが、12才の時に元服して左大臣の娘葵の上と結婚したが、源氏は気位だけは高い葵の上とは上手くいかないという源氏の出生から16才までを簡単に述べている。

 次の柏木は有名な「雨夜の品定め」であり、この辺りは現在の若者の女性談義と同じようで、いつの世でも若者の興味は変わらぬと思い起こさせる。またこの後の空蝉、夕顔の帖ではこの「雨夜の品定め」での話に関連した内容になっている。

 次の空蝉は雨夜の品定めで話の出た中流の女として空蝉との出会いの話になり、一度は心ならずも源氏に犯されたが、その後は厳しい態度で源氏を寄せ付けない。しかし心の中では源氏を忘れられず、単身で赴任している夫の受領への罪の呵責に苦しむのである。
 次の夕顔は市井の一般庶民の住む家の女性で、夕顔の花の縁で源氏と知り合うようになる。一途に源氏に尽くす夕顔をある日人の住まない廃院に連れ出したが、女は何かに襲われてように頓死してしまった。源氏は茫然自失し、女を弔った後病気で寝込んでんしまう。そして侍女の口から雨夜の品定めで話に出た女だと知る。

 最後の若紫は藤壺の宮との不倫で懐妊する話と後に紫の上として源氏の正妻となる女性と始めて出会い誘拐同然に引き取る話で、次帖以降にどの様に進行するのか期待したい。

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(以下次号)