源氏物語(巻三) 瀬戸内寂聴訳     2020年9月18日 (金)








 源氏物語「巻の三」には、「源氏物語五十四帖」のうち、十二帖 「須磨」、十三帖 「明石」、十四帖 「澪標」、十五帖 「蓬生」、十六帖 「関屋」、十七帖 「絵合」、十八帖「松風」の七帖が収められている。(写真は左から表紙、扉、「澪標」、「松風」、の口絵)

 その概要と読後感は次の通りである。

十二帖 「須磨」 (源氏26才)
 源氏は異母兄である朱雀帝の寵愛のある朧月夜との密通現場を朧月夜の父右大臣に見つけられたのが基で、官位をはく奪される。
 源氏は流罪を避け、自分から須磨に都落ちをすることを決断する。
 紫の上には全財産を与え、多くの関係のあった女君達に別れの挨拶をしたり便りを送り、3月の頃僅かの友を連れて船で須磨の浦(現在の神戸)に行き謫居生活に入ったが、文字通り島流しの様なわびしい月日が過ぎて行った。
 やがて一年が過ぎ、源氏が27才になった3月初め、突然須磨に暴風雨が吹き荒れ、源氏の住まいは大きな被害をこうむり、命の危険にさらされた。

十三帖 「明石」(源氏27才)
 その頃明石には明石の入道と言われる前の播磨の国守だった男がいた。桐壺の更衣とは従兄弟だったが都の気風には合わずここに住み着いてしまっていた。暴風雨が吹き荒れた時夢のお告げがあり、須磨に船を出し源氏を明石にお迎えした。
 明石の入道には一人娘が居りこれを機会に源氏に、差し出そうとするが、娘(明石の君)は身分の違いが大きすぎると気が進まなかったが、娘と文のやり取りを交わすうちに源氏はその教養の深さや人柄に惹かれて、契りを交わした。
 その頃都では朱雀帝が夢で桐壺帝に叱責されて眼病を患うなどで、翌年の7月に赦免の宣旨(せんじ)を下して源氏は都に帰ることになった。同じ頃明石の君は懐妊し、別れを嘆く明石の君に必ず都に迎える約束をするのだった。

十四帖 「澪標(みおつくし)」(源氏28才〜29才)
 病気がちの朱雀帝は譲位を考えるが、朧月夜のことは忘れ難く思っているのだった。.翌年2月に11才になった東宮の元服式が行われた。また同じ月に朱雀帝は突然譲位をすることにした。
 そのため源氏と藤壺の子でありながら東宮だった冷泉帝が即位をした。大納言の源氏は内大臣に昇進し、かつての左大臣が摂政で太政大臣を務めることになり、左大臣派は繁栄を極めることになった。
 冷泉帝の即位式から1か月後、明石の君は女子を出産した。源氏は喜んで乳母を選んで差し向けるのだった。
 秋になって源氏の君は住吉神社にお礼参りをすることにした。その折も折、明石の君も住吉神社にお参りに来たが、あまりの盛況に参詣もせず引き返してしまった。
 以前、九帖 「葵」で葵の上を生霊で苦しめた六条御息所(みやすどころ)は十帖 「賢木(さかき)」で娘の斎宮と共に伊勢に向かったのだが、御代替わりで斎宮と共に京に戻っていた。しかし重い病気にかかり、出家してしまった。源氏はそれと知り、見舞いに行くと御息所は娘の斉宮の後見人になるよう依頼し、やがて亡くなてしまった。朱雀院は以前から斉宮のことを思い続けていたのだが、源氏は藤壺の尼君と相談し、御息所の遺言を口実にして斉宮を冷泉帝に入内させることにした。

十五帖 「蓬生(よもぎう)」 (源氏28才〜29才)
 常陸宮の末摘花の姫君は源氏の須磨配流騒ぎで忘れ去られ、生活は困窮を極め、住まいは荒れ果て召使いが皆去って行く中、源氏を待ち続けくる。
 あくる年の4月になり、源氏は偶然荒れ果てた邸の前を通りそこが常陸宮邸だったことを思い出し、その純情さに心打たれて邸の蓬(よもぎ)を払わせ、以前のように援助をし、2年の後に二条の邸の本邸に近い、東の院に移すのだった。

十六帖 「関屋」(源氏29才)
 以前三帖で話のあった「空蝉」での夫は常陸の介となって任国に下った。空蝉もそれに同伴したが、源氏の流浪が終って京に戻った翌年秋に常陸の介も帰郷して来て..石山寺を詣でる源氏と偶然出会う。
 源氏は懐かしく思い空蝉に文を送った。その後も二人は文を交わしていたが、老齢の常陸の介はやがて亡くなってしまう。残された空蝉は継子の横恋慕に嫌気がさして出家してしまった。

十七帖 「絵合(えあわせ)」(源氏31才)
 冷泉帝には先に入内した弘徽殿の女御(且つての頭の中将の娘)がいたが、帝は絵が好きで自分もお描きになるので、絵が上手な斎宮女御に惹かれて行く。それを知った弘徽殿の女御側も当代の絵師に描かせた絵を集め、対抗していく。そしてある時、帝の御前で保持している絵の優劣を競う絵合わせをすることになった。
 左右に分かれての絵合わせは、優劣つけがたく夜までかかったが、最後に源氏が描いた須磨の絵日記が素晴らしく、源氏側の勝利になった。

十八帖「松風」(源氏31才)
 源氏は二条の院の東院を完成させて、そこへ明石の君を迎えるつもりだった。しかし明石の君は決心がつかず、明石入道は嵯峨の大堰川の畔にある自分の屋敷を修理して、そこに明石の君母子を行かせることにした。姫君は3才になって可愛い盛りであり、源氏はやがては二条院に連れてきて、紫の上の娘分として育てさせ入内させたいと考えており、紫の上も姫君を引き取って養育してみたいと考えるのだった。

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.  この巻では源氏が官位を剥奪され、自ずから須磨へ落ちて行き、侘しい暮らしを送るところからはじまる。源氏は暴風雨に襲われた後明石に移り、明石の君と懇ろになり、明石の君は懐妊する。

 しかし朱雀帝は眼病に悩み、弘徽殿の太后の父の太政大臣が亡くなるという不吉なことが重なり、朱雀帝は源氏を赦免し、源氏は権大納言に昇進し、政界の中枢に返り咲く。

 やがて朱雀帝は譲位し、十一歳の冷泉帝が即位する。源氏は内大臣になり、隠居していた左大臣は摂政太政大臣に昇進した。明石では女の子が無事誕生した。

 伊勢の齋宮と六条御息所も都に帰ってきたが、出家した御息所を見舞った源氏に前斉宮の後見を頼み亡くなった。源氏は藤壷の尼宮と相談し、冷泉帝の妃として入内させた。

 赤鼻の末摘花の君は源氏に忘れられ零落していたが、源氏は荒れ果てた邸の前を通り、そこが末摘花の屋敷だったと思い出し、4年振りに再会した末摘花の純情振りに感動し、再び経済的な面倒を見るのだった。

 空蝉は老齢の夫が亡くなった後、継息子に言い寄られ、出家してしまう。後に源氏は空蝉を引き取って生活の面倒を見るのだった。

 以上のように以前から関係のあった女性のその後について記し、絵合わせの挿話を挟んで、最後に明石の君が京に移り住み、姫君を紫の上に育てせさせようと思う所で終わるのだが、一巻、二巻で関係のあった女性たちが、志摩、明石の後の栄達した源氏との関連がどう変わっていくのか、及び新しい明石の君母子がその後どうなっていくのかを期待させる巻である。

十四帖 「澪標(みおつくし)」の表題は、住吉神社参詣の時逢えなかった二人が交わし合った「みをつくし恋ふるしるしにここまでも めぐり逢いける縁は深しな」「数ならでなにはのこともかひなきに などみをつくし思いそむけむ」」から来ているが、源氏物語には各帖に多くの和歌が載せてあり、物語の進行にも大きな影響を与えるのだが、それにしても平安貴族や、女房たちの教養の深さがうかがわれ、それを読むのも楽しみの一つになる。

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(以下次号)