源氏物語(巻四) 瀬戸内寂聴訳     2020年10月23日 (金)








 源氏物語「巻の四」には、「源氏物語五十四帖」のうち、十九帖 「薄雲」、二十帖 「朝顔」、二十一帖 「乙女」、二十二帖 「玉鬘」、二十三帖 「初音」、二十四帖 「胡蝶」の六帖が収められている。(写真は左から表紙、扉、「玉鬘」、「初音」、の口絵)

 その概要と読後感は次の通りである。

十九帖 「薄雲」 (源氏31才〜32才)
 その年の冬、十八帖「松風」で京都大堰川のほとりに移住した明石の君は、娘の将来のために生母の身分がふさわしくないと考えた源氏の姫を紫の上の養女にしたいとの申し出に、思い悩みながらも将来を考えて娘を手放す決心をした。その別離の場面は読む人をしんみりさせる。

 年が明けて源氏は三十二才になった。その頃太政大臣が亡くなった。源氏の亡妻だった葵の上と頭中将の父親である。内大臣で帝の後見をしていた源氏は残念に思うのだった。さらに源氏の最愛の女性である藤壷の尼宮も厄年の三十七才で亡くなった。源氏は悲嘆のあまり念仏堂に籠って泣き暮らした。

 法要が一段落したころ藤壺の時代から仕えていたある高僧が冷泉帝に出生の秘密を漏らしてしまい、衝撃を受けた帝は実の父を臣下にしておくのは忍びないと考え、源氏に譲位をほのめかすが源氏は固辞し、帝の態度から秘密の漏洩を察し動揺するのである。
 
 薄雲の題は「入日さす峰にたなびく薄雲は もの思ふ袖に色やまがえる」の藤壺の死を悼む源氏の歌からつけられている。

二十帖 「朝顔」(源氏32才)
 藤壷の尼宮が亡くなったのと同じ頃、源氏の叔父である式部卿の宮が亡くなり、斎院の職にあった朝顔の姫は邸に戻っていた。源氏は若いころ思いを寄せていたので、同居する叔母の女五の宮の見舞いにかこつけて頻繁に邸を訪れて紫の上を不安にさせていた。
 しかし朝顔の姫宮は当り障りのない返事しかせず、源氏の思いは届かなかった。源氏が紫の上に藤壺の宮などの話をした夜、夢に藤壺が現れ罪が知れたと源氏を恨んだ。

二十一帖 「乙女」(源氏33才〜34才)
 源氏と葵の上の子、夕霧が12才になり元服した。源氏は勉学を身に着けせるために、六位という下級官位に留め置いた。
 その頃源氏の養女になった齋宮の女御が冷泉帝の中宮に立后し、源氏は太政大臣に、頭の中将は内大臣に昇進した。
 夕霧は内大臣の二女雲居の雁と相思相愛になっていたが、それを知った内大臣は祖母にあたる大宮が養育していた雲居の雁を自邸に引き取って二人の仲を引き裂いた。
 源氏は夕霧が東の院の学問所に籠り切ってるので、東の院の西の対に住む花散里の君に夕霧の後見を依頼した。
 翌年になって夕霧は進士の試験に合格し五位の侍従に昇進した。

 源氏は六条に四町を占める広大な六条院を完成させ、春の町を紫の上邸、夏の町を花散里邸、秋の町を齋宮の女御の里邸、冬の町を明石の里邸とし、それぞれに迎え入れた。

二十二帖 「玉鬘(たまかずら)」(源氏35才)
 四帖「夕顔」で急死した夕顔には幼い姫君(玉鬘)が居たが夕顔の死後、乳母の縁者を頼って筑紫に下っており、20才になって美しく成長した玉鬘は、その地方の豪族の強引な求婚に苦慮していた。思い悩んだ乳母は長男の豊後介にはかって京に逃げ帰った。
 しかし、京で母夕顔を探す当てもなく、神仏に願掛けをして参詣の旅に出た。初瀬の観世音をお参りしたとき、思いがけず夕顔の女房だった右近に出会った。右近の方も源氏に仕えながら姫を探していたのである。右近は昔のいきさつなどを話した後、早速源氏に伝え、源氏は玉鬘を自分の娘という触れ込みで六条院に迎え、花散里を後見にして夏の町の西の対に住まわせた。
 「玉鬘」の題名は「恋ひわたる身はそれなれど玉かずら いかなる筋を尋ね来つらむ」(夕顔を恋い続けているわたしは昔のままだけれど、あの娘は玉鬘のようなどの筋をたどってわたしを訪ねて来たのやら)との源氏の詠んだ和歌から付けられている

二十三帖 「初音」(源氏36才)
 新しい年を迎えて、源氏は六条の院の女君たちに年賀に行く。紫の上の春の御殿から花散里の君の夏の御殿、西の対の玉鬘、明石の君の御殿と回ってそこで泊った。数日後には二条の東の院に行き赤鼻の末摘花や尼姿の空蝉のところにも顔を出すのだった。

二十四帖 「胡蝶」(源氏36才)
 三月になって春たけなわの六条の春の御殿で、.源氏は唐風の船を池に浮かべて船楽を.催し親王たちも大勢見物に来た。秋の町を齋宮の女御(秋好中宮)も里下がりをしていたので、秋の町の女房達も見物し、夜も引き続いて管弦や舞などで、盛大な宴になった。
 夏になり、玉鬘の姫君の許には多くの恋文が届けられるようになり、親代わりとなった源氏も思慕を募らせ、ある雨の夜想いを打ち分けてしまう。世慣れぬ玉鬘は養父の思わぬ懸想に困惑してしまう。

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.  この巻では源氏の最愛の人で、源氏との秘密を抱えた藤壺の尼宮が亡くなり、源氏の悲嘆は大きかった。その一方で、明石の君が京都大堰川に娘とともに住むようになると、その姫君の将来のためには生母の身分がふさわしくないと考えて、二条の屋敷に引き取り子供の生まれない紫の君を母として育てさせようと考えるのである。
 姫の将来のために泣く泣く子別れをする明石の君の悲しみと、将来帝の皇后にもしようという源氏の利己心の対比が鮮やかに表現されている。

 藤壺の尼宮の四十九日を過ぎた頃、叡山の祈祷僧が冷泉帝に出生の秘密を告げてしまう。帝は生みの親である父を臣下として扱ってきた不孝の罪におののき源氏に譲位しようと考える。源氏は固辞するが、秘密の洩れたことを知るのである。

 藤壺の尼宮の一周忌も過ぎて源氏と葵の上の子、夕霧は十二才で元服し大学に入った。また源氏は後見することになった斎宮女御を冷泉帝の許に入内させ斎宮女御は秋好(あきこのむ)中宮と呼ばれるようになった。その秋、源氏は太政大臣に、かっての頭中将は内大臣に昇進し、わが世の春を謳歌することになる。

 源氏は六条の院という新邸を造営し、源氏・紫の上・花散里・秋好中宮らが移転した。翌年の源氏36才の正月は六条の院の女君たちの許を巡り歩くのだった。光源氏の栄華を極めた時である。
 

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(以下次号)