源氏物語(巻七) 瀬戸内寂聴訳     2020年12月4日 (金)







 源氏物語「巻の七」には「源氏物語五十四帖」のうち、三十六帖 「柏木」、三十七帖 「横笛」、三十八帖 「鈴虫」、三十九帖 「夕霧」、四十帖 「御法」、四十一帖 「幻」、* 「雲隠」、四十二帖 「匂宮」、四十三帖 「紅梅」であるが、四十一帖 「幻」と四十二帖 「匂宮」との間に * 「雲隠」という表題だけの光源氏が亡くなったことを暗示する帖名だけの帖があり、以後は次の世代の薫大将と匂宮を主とした帖になる。(写真は左から表紙、扉、「幻」「夕霧」)の口絵)
 その概要と読後感は次の通りである。

三十六帖 「柏木」(源氏48才)
 柏木は12月の朱雀院の五十才の賀の試楽が行われた日に源氏から痛烈な皮肉を浴びせられ、睨み据えられたことでノイローゼになり、病気が重くなる一方で父の前大臣の屋敷に引き取られていた。新年を迎えても病状は悪化するばかりで死を予感するようになり、苦しい中で手引きをしてた小侍従に三宮への手紙を託した。
 その晩女三宮は産気づき、男子(薫)を出産する。しかし源氏の冷淡な態度におびえた女三宮は密かに下山していた父朱雀院に懇請して出家してしまう。
 それを知った柏木は重体に陥り、見舞いに訪れた夕霧に源氏へのとりなしを頼み、妻の女二宮の行く末を託し、亡くなってしまう。
 日が経つにつれて実の父に似てくる薫と尼姿の女三宮を前にして、源氏の胸中は揺れ動くのだった。

三十七帖 「横笛」(源氏49才)
 柏木の一周忌が営まれ、源氏は日に日に成長する薫を見て自分の老いを感じるようになる。
 夕霧は柏木に世話を依頼された正妻の女二宮の許にしばしば通うようになる。女二宮の母である一条の御息所(みやすどころ)はお礼にと、柏木が愛玩していた横笛を贈り物に差し上げた。
 夕霧は源氏の居る二条院に行き幼い薫を見て柏木と似ているのに驚く。源氏は横笛のことを聞いて自分が預かっておくべきわけがあるといって預かってしまう。
 夕霧はまた柏木の臨終のとき、源氏へのとりなしを依頼されたことを話したが、源氏ははっきりとした返事はしなかった。

三十八帖 「鈴虫」(源氏50才)
 翌年夏、出家した女三尼宮の持仏開眼供養が源氏の発願で行われた。 
 秋になり中秋の名月の日、女三尼宮の御殿の庭に鈴虫を放して宴を行った。夕霧なども参加して管弦などで楽しんでいると、冷泉院から宴の招待があり大勢で参上した。
 その夜秋好中宮から死霊になって苦しむ母の六条御息所の慰霊のため出家したいと源氏に打ち明けるが、源氏にそれを諫められるのだった。

三十九帖 「夕霧」(源氏50才)
 夕霧は女二宮とその母一条の御息所の住む邸に度々見舞いに行くうちに女二宮に惹かれて行くが女二宮は夕霧に気が無く、話すこともしない。そのうちに一条の御息所は物の怪による病のために娘と共に自分の持つ山荘に移った。
 夕霧は見舞いに訪れた時に意中を明かすが、女二宮はそれを受け入れない。然し度々訪れる夕霧と女二宮の噂は高くなり、御息所はそれを苦にして病死してしまう。夕霧は御息所の葬儀を取り仕切り、母を亡くして呆然とする女二宮になおも言い寄り関係を結んでしまう。
 夕霧の正妻雲居の雁の宮は、嫉妬のあまり、父の前の太政大臣の許に帰って夕霧の弁明も聞き入れない。
 夕霧はこの時29才で雲居の雁の宮との間に男の子4人と女の子4人がおり、昔、雲居の雁の宮との仲を裂かれていた頃の藤の典侍(ないしのすけ)の間には男の子2人と女の子2人の12人が子が居た。

四十帖 「御法(みのり)」(源氏51才)
 紫の上は数年前の大病以来体調が優れず出家を望むが、源氏はそれを許さない。紫の上はせめて仏事によって後世を願おうと3月に自身の発願による法華経千部の供養の法会をした。紫の上は自分の死が近いことを悟り、親しい人に人知れず別れを交わすのだった。
 夏も過ぎ秋になると紫の上はめっきり衰弱し、源氏、明石の中宮に看取られて亡くなり、源氏は悲嘆にくれるばかりだった。

四十一帖 「幻」 (源氏52才)
 年が明けたが、源氏の悲しみは癒えなかった。年賀の人々にも会わず、僅かに弟の蛍兵部卿の宮と会っただけだった。夏が過ぎ秋の一周忌の法要が過ぎても悲しみは尽きず、冬になり源氏は出家の意志を固め、女君との手紙を焼き捨てる。
 仏名会(ぶつみょうえ)という年末の法会で源氏は、紫の上の死後、一年ぶりに初めて人前に姿を現したのだった。

* 「(雲隠(くもがくれ)」
 幻の帖として巻名だけが残されている帖で、源氏の出家と死が暗示されているというのが定説である。

四十二帖 「匂宮(におうのみや)」
 (薫14才〜20才)---以後源氏の死後、主人公の役割を果たす薫の年齢を表示する。

 源氏の亡き後、今上帝の三の宮(匂宮)と女三宮の息子薫が当代きっての貴公子と評判が高い。
 夕霧の大将は右大臣に昇進しており、源氏の住まいだった六条の院には明石の中宮の子の三の宮(匂宮)や女一の宮などが住んでいる。
 薫は生まれつき何とも言えぬ芳香が備わっていた。三の宮(匂宮)はそれに対抗し、薫物(たきもの)に趣向を凝らしていた。三の宮(匂宮)は元服して兵部卿になり、薫も元服し右近の中将になっていたので、「匂う兵部卿、薫る中将」と呼ばれるようになった。

四十三帖 「紅梅」(薫24才)
 その頃、前太政大臣の亡くなった長男柏木のすぐ下の弟が按察(あぜち)の大納言になって一族の大黒柱になっており、亡くなった妻との間に二人の姫君が居た。今の妻は故蛍兵部卿の宮の北の方だった真木柱で、宮のお方と呼ばれる姫の連れ子が居た。この三人の姫君は年ごろで裳着(もぎ=女子が成人したことを示す儀礼)を済ませたばかりで、長女の大君を東宮に入内させており、大納言は後の二人の婿をどうするか考えていた。

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 この巻では最初に前の巻の若菜(上下)での柏木と女三宮の道ならぬ悲恋の結果から描かれている。朱雀院が出家するために、幼い娘の女三宮を、源氏の後見を得るために降嫁させたことから始まった悲劇で、その時39才だった源氏は48才になり、女三宮は13才から22才になっていた。

 女三宮は男児を出産するが、夜陰密かに見舞った朱雀院は女三宮の願いを受け入れ、源氏の反対を押し切ってその場で出家させてしまった。が、それは女三宮にも取り憑いていた六条の御息所の死霊のしわざだったと源氏物語には記されている。

 夕霧は親友の柏木の頼みで女二宮に近づこうとするがうまくいかない。この頃の上流階級では何人かの女性を妻とすることは当たり前だったが、夕霧はずっと以前に交渉のあった藤の典侍(ないしのすけ)以外は正妻の雲居の雁の宮一筋だった生真面目さが家庭崩壊の寸前まで行ったのだろうか。

 紫の上は不幸なことに一人も子宝に恵まれなかった。病気になって心の平安を得ようと出家を願うが、源氏は自分の愛欲もあってそれを許さない。
 瀬戸内寂聴は源氏物語の女の中で、最も幸福な女といわれてきたこの紫の上をもっとも可哀そうな女と思われてならないと書いている。ともあれ、紫の上が亡くなってからの源氏はそれまでの精彩を一挙に無くしてしまうのである。

 光源氏を主人公にした源氏物語は「幻」の帖で終わり、次の「匂宮」までには8年の空白がある。紫式部は本来の源氏物語はここまでで終わりにしたのではないかとも云われている。、

 いずれにせよ、この巻の最後の「匂宮」「紅梅」の2帖は源氏の世代から薫の世代への橋渡しになる帖である。

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(以下次号)