イバイチの奥の細道漫遊紀行

[ 種の浜 (いろがはま) ]

H22-3-11作成 

常宮神社

 芭蕉は陰暦8月14日夕刻に敦賀に着き、その日のうちに金ヶ崎城跡に行った。その夜は晴れたが、北国の天気は変わり易いと宿の主に言われて中秋の名月の前夜だが、気比神社に参詣した。翌15日は雨になって外出できず、16日に舟で種の浜(いろがはま)に渡った。

 おくのほそ道の種の浜(いろがはま)の段の前半は、「16日、空霽(はれ)たれば、ますほの小貝ひろはんと、種の浜に舟を走す。海上七里あり。天屋何某と云もの、破籠(わりご)・小竹筒(ささえ)などこまやかにしたゝめさせ、僕(しもべ)あまた舟にとりのせて、追風時のまに吹着ぬ。」 と酒肴を用意し、多くの下僕を従えて賑やかに舟で行ったとある。

 天屋何某は天屋五郎右衛門という回船問屋で、俳号を玄流という分限者である。「破籠」はかぶせ蓋で中に仕切りのある食べ物を入れる折箱で、「小竹筒」は酒を携行する時の竹筒である。当時、色の浜がある敦賀半島には道が通じておらず、船でなければ行けなかったのである。現在は敦賀原発に通じる立派な道路があり、敦賀市街地から1時間足らずで行ける様になった。

 色の浜への中間地点に常宮神社がある。神社の参道入口近くに、「月清し 遊行のもてる 砂の上」 の句が大きな石に刻まれている。200年ほど前に造られたものということで、だいぶ磨耗して読めないほどである。この神社の祭神は神功皇后で、気比神宮の祭神である仲哀天皇の妻で、お産の常宮さんとしてあがめられている。(写真は常宮神社本殿と芭蕉句碑)


 毎年7月22日には、気比神宮から祭神が船で海を渡って来る総参祭という神事がある。それを迎えるため神社の拝殿は海に面した大きな舞台として作られているが、遮るものも無く敦賀湾が一望の下に見渡され、暫らくそこからの景観を楽しんだ。境内には巨木が立ち並んで静かな雰囲気である。山門の前に貝殻が沢山置かれていたが、その中に「ますほの貝」と表示がされた小皿があった。数ミリ程度の小さい貝である。写真を撮ったがあまりにも小さくてボケてしまった。欲しい人は持ち帰って良いと書いてあったので4粒ほど頂いた。最初に訪問した平成18年11月には本殿の両側にある紅葉が真っ赤に色付いて、華やかに彩りを添えていた。(写真は常宮神社拝殿とますほの貝)

 曽良は芭蕉に先駆けて5日前の8月9日に敦賀に着き、気比神社に参拝した後、その日の内に種の浜(いろのはま)に向かった。翌日の帰路は、常宮までの便船に乗り、この神社に参詣している。常宮から敦賀までは山越えの小道があったようである。

種の浜(いろがはま)

 色ヶ浜地区は敦賀市内から原子力発電所に通じる道を12キロほど行った所にある敦賀湾に面した小さな村落である。県道の色ヶ浜入口から狭い道に入るとすぐに本隆寺開山堂がある。本隆寺は日蓮宗の寺で日隆上人を開基としており、その日隆を祀ったのが開山堂である。境内には芭蕉がここを尋ねる因になった西行の 「潮染むる ますほの小貝ひろふとて 色の濱とはいふにやあるらむ」 の歌碑と、寂塚として芭蕉の 「寂しさや 須磨にかちたる 濱の秋」 の句碑が置かれている。

 開山堂から部落の中央近くにある本隆寺に行く。ここには芭蕉翁月一夜十五句の一つである 「衣着て 子貝拾わん 色の月」 の句碑と、等栽の文に収録されている 「小萩ちれ 増穂の小貝 小盃  桃青」 の萩塚という句碑がある。後の句は、おくのほそ道に記されている「波の間や 子貝にまじる 萩の塵」の初案のものである。
 おくのほそ道の種の浜(いろがはま)の段の後半は、「浜はわづかなる海士(あま)の小家にて、侘しき法花寺あり。爰(ここ)に茶を飲、酒をあたためて、夕ぐれのさびしさ、感に堪たり。 寂しさや 須磨にかちたる 浜の秋   波の間や 小貝にまじる 萩の塵  その日のあらまし、等栽に筆をとらせて寺に残す。」となっている。 酒肴も積み込んで賑やかに海上を行ったのだが、着いてみると家もまばらな寒漁村で侘しさが募った様子である。

 「侘しき法花寺」 である本隆寺には、「等栽に筆をとらせて寺に残す。」 と記されている等栽の文書が残っている。 「気比の海のけしきに愛で、種の浜の色に移りてますほの貝とよみ侍りしは、西上人の形見なりけらし、されば所の小童まで、その名を伝へて、汐の間をあさり、風雅の人の心を慰む。下官(やつがれ)年ごろ思ひ渡りしに、このたび武江芭蕉庵桃青巡国のついで、この浜に詣ではべる。同じ舟にさそはれて、小貝を拾ひ、袂つゝみ、盃にうち入れなんどして、かの上人の昔をもてはやすことなむ。 越前ふくい洞栽書  小萩散れ ますほの小貝 小盃   桃青」 というものである。

 部落入口から海を眺めると明るいコバルトブルーの先に水島という珊瑚礁のような砂州で出来た島がある。島の端の方に小さな松林があり、手前にある紺碧の水面と島近くのコバルトブルーに変わった水の色と砂の白、松の緑、空の青が素晴らしく、美しい景観を形作っている。更にその先を北海道に行くフェリーがゆっくりと走っていた。夏は海水浴で賑わい、他の季節でも釣りをする人が多く訪れるようで、釣宿の民宿がたくさんある。あいにく曇っていたが、晴れた日に日がな一日この景色を眺めていたら日ごろの鬱屈も吹き飛んでしまうだろう。

西福寺

 色ヶ浜からの帰り道、西福寺という寺院に寄る。この寺の書院庭園は国の名勝に指定されていて、紅葉が素晴らしいというので立寄ったのだが、あまり手入れされていない様子で、あまり素晴らしいとは思えなかった。しかし行く前には知らなかったが、曽良はこの寺を訪問しているのである。
 曽良は敦賀に着いた日(8月9日)に気比神社に参拝し、宿を決めて金ヶ崎に行った。宿に戻ると、夕方色ヶ浜(曽良は種の浜ではなく色浜と記している)への便船があるというので、それに乗り夜半に色ヶ浜に着いた。その晩は本隆寺に泊まった。翌朝、開山堂(御影堂)に詣でた後、上宮への便船があったので常宮神社に参拝し、険しい道を越えて西福寺に行ったのである。 (写真は西福寺庭園)

 西福寺には曽良が立寄ったのに因んで、曽良文学碑が建てられている。芭蕉と曽良の旅姿と、曽良旅日記の西福寺に立寄った日の出来事を刻んだものである。曽良旅日記には 「十日 快晴。朝、浜出、詠ム。日蓮ノ御影堂ヲ見ル。巳刻、便船有テ、上宮趣、二リ。コレヨリツルガヘモ二リ。ナン所。帰ニ西福寺ヘ寄、見ル。申ノ中刻、ツルガヘ帰ル。(----以下略)」 と記されていた。 (写真は曽良文学碑)
  (H18‐11‐20訪・H20‐12‐9再訪)

注1) 写真をクリックすると大きくなります。
注2) 青字は「おくのほそ道」にある句です。
注3) 
緑字は「おくのほそ道」の文章です。



    前ページ