安部 龍太郎 の 「十三(とさ)の海鳴り」 を読んで 2019年11月24日 (日) |
十三(とさ)の海鳴り 安部 龍太郎 集英社 2019年10月発行
安部龍太郎は、2013年(平成25年)に「等伯(上下)」で直木賞を受賞した作家である。 「等伯(上下)」については以前に「H25前半お薦めの本」の中で紹介しており、それ以来の安部龍太郎の本の紹介である。「等伯(上下)」は下記をクリックすれば呼び出せる。 (http://www.ibaichi.com/colum/2book/burog105.html 参照) 今回図書館で題記の新刊を手に取り、面白そうだったので借りることにした。 「十三(とさ)の海鳴り」とは副題に「蝦夷太平記」としてあり、鎌倉時代後期、エゾの蜂起と蝦夷代官職の安藤氏の内紛が関係して起こった蝦夷大乱、津軽大乱とも呼ばれた安藤氏の乱を描いている。 この乱を北条得宗家が力で制圧できず安藤氏の内紛について和議を成立させたことが、建武の中興と合わせて鎌倉時代を終焉させ、室町時代に移行する大きなファクターになったといわれている。 主人公は蝦夷管領家当主の三男である安藤新九郎季兼(すえかね)で、新九郎が19才の時から始まる。新九郎の本拠は津軽半島の日本海側にある十三湖にある十三湊(とさみなと)である。 それ以前に奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされた後、奥羽の大半は北条家の所領となったが、北条家は津軽、下北地方より北は蝦夷の族長だった安藤氏を蝦夷管領に任じて治めさせ、年貢や交易の何割かを徴収することにしていた。 当時、安藤家は陸奥湾に面した外の浜安藤家と日本海に面した西の浜安藤家に分かれており、外の浜安藤家が蝦夷管領に任じられていたが、五十年ほど前に蝦夷地で反乱がおき、外の浜安藤家の当主が討ち死にし、北条家は西の浜安藤家に蝦夷管領を移し、西の浜が安藤本家となって領地領民を支配するようになったという経緯があった。 その頃、朝廷では後醍醐天皇が天皇親政を考えて北畠親房、名和長年、楠木正成などに決起を呼び掛けており、北条家としては対抗措置のため蝦夷管領に対して年貢を強化してきた。 そのため、アイヌの不満が高まっており、それを口実に蝦夷管領の西の浜安藤家の当主である安藤季長は、北条家の支配を脱そうと朝廷側の蜂起に合わせて反旗を翻そうとしたが、朝廷側が期日に蜂起せず北条側に捕らえられ処刑された。一方の外の浜安藤家の当主安藤季久は北条側に立ち、念願の蝦夷管領の地位を取り戻した。 安藤新九郎はその間の両安藤家の動き、アイヌの事情、北畠親房や護良(もりなが)親王との出会い、幾多の合戦などを踏まえながら自分の考え方を決めて行き、最後に外の浜安藤家の跡取りの応分の領地を分けて貰うことを決め、本人は新天地としてアイヌの一家として蝦夷地に向かって船を進めるところで終わる。 古い奥州の動乱については高橋克彦がアルテイを描いた「火怨」。安部氏、清原氏、奥州藤原三代を描いた「炎立つ」。秀吉に歯向かった九戸政実を描いた「天を衝く」。辺りしか読んでいない。 「十三(とさ)の海鳴り」は津軽半島日本海側の十三湖付近のまだ東北北部にアイヌが住んでいた頃の話で、しかも当地の豪族である安藤氏の内輪揉めが遠くの鎌倉幕府の興亡に関わっていたとはネットで調べるまで知らなかった。ヒグマとの死闘、トリカブトを塗った矢の使用など興味深い話も多く、飽きることなく読了した。
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