浅田次郎 の 「流人道中記(上)・(下)」 を読んで
 

2020年10月7日 (水)
  「流人道中記(上)・(下)」

       浅田 次郎

    中央公論新社  2020年3月発行


 今年6月に、浅田次郎の「大名倒産(上)・(下)」が、題名が面白かったので、それの読後感を書こうと思ったのだが、いざ読んでみると借財が大きすぎて大名を辞めてしまおうかと思った藩主が、自分は隠居して妾腹で市井に居た三男を探し出し、後継ぎの藩主にして倒産の責めを負わせて切腹させようと企てるが、何も分からぬと思っていた新藩主が、倒産を避けようとして心ある藩士たちの助力を得て、藩政を改革していこうとする話になり、途中から貧乏神だの七福神などが出てきて、あまりにも荒唐無稽な話になるので止めてしまった。

 浅田次郎の作品は「蒼穹の昴(そうきゅうのすばる)」シリーズをはじめとして、30冊くらい読んでいるが、新刊はなかなか読めなかったので読後感は書いていなかった。今回は発売されてから半月ぐらいで図書館に申し込んでいたが、申込者が多く、更に新型コロナで図書館も一か月以上閉鎖されたこともあって、申し込んでから半年かかってやっと借りられることになった。

 前置きが長すぎたが、話の発端は明治維新の7年前の万延元年、桜田門外の変が起きた幕末のことで、知行三千二百五十石取り旗本の青山玄蕃は不義密通をしたとして切腹の沙汰があったがそれを拒んで、蝦夷松前に永年御預けてになることになり、石川乙次郎という十九才の与力が押送人として同行することになった。

 乙次郎は三十俵二人扶持同心の次男坊だったが、武芸に秀でているということで町奉行与力から婿養子の声がかかり、半年前に、二百石取りの与力見習いになったばかりだった。

 この酸いも甘いも噛み分けた大身の旗本が流罪になり、その押送人として津軽の三厩(みんまや)までを、半年前に与力見習いになったばかりの世慣れない生真面目な若輩者が同行するというシチュエーションである。

 芦野宿での事、旅籠に着いた二人は江戸を荒らした稲妻小僧という盗賊の人相書きを見た。取り押さえまたは討ち果たしたものは五十両の褒美を与えると書いてあった。その旅籠に泊まった稲妻小僧は子供時代一緒に過ごした飯盛り女と逢う。賞金稼ぎの浪人者も登場し、その複雑な関係を青山玄蕃がすっきりと解決するというのが最初のエピソードである。

 そしてそれを始めとして七年間探し求めたを仇討の話、病を得た旅人が宿村送りと言って代官が病人を国境まで駕籠などで送り継ぐ制度の話などのエピソードを通して青山玄蕃の考え方が判ってきて、音次郎の見方が変わっていく。

 この辺りの何件かのエピソードは作者の得意分野で、登場人物の背景や考え方、そして会話の進め方などは、読んでいて引き付けられる場面である。そして乙次郎は玄蕃が不義密通という罪状に似つかない言動に触れる毎にその乖離に悩まされるのである。

 そして下巻の後半になって、玄蕃の素性が明かされる。それによると玄蕃も音次郎と同様に最初から旗本の家に生まれたのではなく、主の慰み者だった母が妊娠したため市井に戻され、貧乏生活を送っていた。それが、兄たちがはやり病で死んだので、家名存続のために探し出され、七才で三千二百五十石取り旗本の後継ぎにされた。

 その玄蕃を親代わりに育ててくれたのは家老の彦兵衛だった。七つの時まで寺子屋にも通えなかった玄蕃に読み書きを教え、剣術の手ほどきもしてくれた。やがて玄蕃は名門である練兵館の師範代になり、幕閣の評判も上々だった。

 それを妬んで上司である大出対馬守が己の地位を守ろうと玄蕃が自分の妾と密通したとの偽の罪状で訴え出た。それと知った玄蕃の部下たちは不正に訴えられた恥辱を晴らさんと大出の屋敷に打ち入らんとしていた。玄蕃はそれを知って、「武士が命を懸くるは、戦場ばかりぞ」と言って説得し、それを止めさせた。

 更に玄蕃の言として、「武士の本分とは何ぞやそれは戦いである」、大坂の陣が終って徳川の天下が定まり、元和偃武が唱えられた時に、武士は変貌せねばならなかった。
 しかし天下の政を担う武士の道徳は戦国のまま硬直し、二百六十年の間、戦いをせずに済んだのに、今になっても大小の二本差しを捨てられぬ。変革を忌避し、万事を先例に倣い続けた末、はなはだ理屈に合わぬ儀礼と慣習で身を鎧った奇怪な武士が出来上がった。

 またその身分は「家」によって保たれる。我らを縛めている道徳ばかりでなくこうした「家」の尊厳についても、戦国のまま硬直してしもうた。
 武士に生まれついた者は決して斯様な疑問は抱くまい。だが、幸い素町人から不意に武士となった俺は疑うことが出来た。

 俺の人生を捩じり曲げ、かくも苦労を強いる「武士」とは何か、「家」とは何か、と。武士である限り、家がある限り、この苦労は続く。すなわち、武士はその存在自体が罪なのだ。よって武士道という幻想を否定し、青山の家を破却すると決めた。これが青山玄蕃の決着だ。
 と言わしめている。

 あと7年も過ぎると明治維新で、武士その者が無くなってしまうことを知っている現代の作者だからこそそう言わしめているのだが、実際に江戸時代の下級の侍はありもしない戦いの準備に二百何年かを過ごしてきて、市井の庶民の様に伊勢参りにも行けず、生国に縛り付けられて食費を補うために細々と内職を続けて一生を終わるのに対し、町人たちは新しい仕事を見つけ出し生活を豊かにしていく。

 その矛盾を侍を辞め,家を潰すことによって自分だけでもその罪を償おうとする青山玄蕃の願いは、下級武士を中心とした活躍で実現した明治維新によって報われたのだろうか。


                                        top↑
 
(この項終わり)

            Home