　　平成２６年（2014）８月、今年３月に図書館に頼んでおいた朝井まかて著の｢恋歌｣がやっと順番が回ってきた。この本が２０１３年(平成２５年)下半期の直木賞を受賞したのは知っていたが、作家の朝井まかてという人は知らず、｢恋歌｣という表題からも現代の恋愛小説で小生が読むような本では無いと思っていた。

　しかし友人から水戸の天狗党の話で、実在の人物の妻の話だと聞かされ、図書館に予約したのである。小生は水戸市に在住しており、ホームページに「幕末の水戸」という天狗党、諸生党の抗争について調べたものをアップしているので大いに関心を持った。予約の時に「大分遅くなりますよ」と言われた通り５か月かかってしまった。

　その間に朝井まかての本を「すかたん」と｢実さえ花さえ｣の２冊読んだが、植物に関する細かい描写や読み易い文体などが印象に残った。しかしどちらかと言えば軽い読み物で、｢恋歌｣についてもあまり期待はしていなかった。

　　恋歌　　　　　朝井まかて　　　　　２０１３年〈平成２５年〉８月発行

　恋歌を読み始めてみると、最初は女性による最初の近代小説といわれる｢藪の鶯｣を書いた三宅花圃の話かと思っていたが、直ぐにその和歌の師匠である中島歌子の回顧録になって来る。(写真は｢恋歌」の表紙）

　本名「中島登世」という若かりし歌子は江戸の大きな旅館｢池田屋｣の娘だったが、登世１７歳の時に相思相愛の仲になった江戸藩邸詰水戸藩士、林仲左衛門以徳（もちのり）の嫁として水戸に下るところから始まるのである。

　夫、林以徳は天狗党の志士で、桜田門外の変に参加する筈だったが果たせず、藤田小四郎が筑波で挙兵した時は藩論を攘夷の方向に持っていかねば無謀な蜂起にしかならないと短慮を戒める立場だった。

　その後水戸藩主慶篤の名代として宍戸藩主松平頼徳（よりのり）が藩内取締りのため水戸に下向する時、尊攘派の執政榊原新左衛門に随行したが門閥派の市川三左衛門に阻まれて水戸城に入れず、松平頼徳一行は心ならずも水戸藩内の争いに巻き込まれることになった。

　天狗党の乱が始まると登世を含む天狗党の家族は逆賊の身内として投獄されてしまう。牢獄での苛酷な生活、処刑されていく仲間たちの話が続く。その中で夫の帰るのを信じて、劣悪な環境の中でともすれば挫けそうになる気持ちを奮い立たせて生き抜いて行くのは感動的である。

　明治になって亡き夫、以徳（もちのり）との在りし日の和歌の応酬がいかにも浅薄だったと感じて、一念発起して和歌の道を極め、歌塾「萩の舎」を設立し、門人千人といわれる成功を収めた。その頃樋口一葉が弟子として入門している。

　文中、烈公徳川斉昭夫人の貞芳院の話として水戸藩が質素倹約を奨励せざるを得ない事情を「義公以来、連綿と続けられてきた大日本史、あの編纂事業のために、いかほど莫大な掛かりを費やし続けてきた事やら。それで、未だに完成してへんのやから」言わせている。

　また「水戸は藩も人も皆、貧しかった。水戸者は性来が生真面目や。質素倹約を旨とし過ぎて頑なになって、その鬱憤を内政に向けてしもうたのや。----あまりの貧しさと抑圧が怖いのは人の気ぃを狭うすることやな。気ぃが狭うなれば己より弱い者を痛めつける、ほんで復讐を恐れて手加減できんようになる。」とも言わせている。

　水戸藩は三十五万石といわれているが、実際の石高は三十万石に満たないものだった。そのため通常は四公六民の年具を六公四民にしており、更に大日本史の編纂があるため、藩士の中士、下士の俸録は更に少なかったのである。そのため藩士、農民とも常に貧困にあえいでいた。

　大日本史は水戸藩の内紛の間もその編纂がなされていて明治３９年にやっと完成した。光圀が大日本史の編纂を志してから２５０年の歳月が費やされたのである。にもかかわらず時代の変遷によってその評価は定まらない。しかしその中心となる本記・列伝は光圀存命中にほぼ完成しており、明治維新の時の理論的支柱になったのは間違いない。

　大日本史の３大特色といわれている１．神功皇后を皇后伝に入れたこと。２．大友皇子を帝記に入れたこと。３．南朝正統論を唱えたこと。は現在の日本歴史に大きな影響を及ぼしているといわれている。

　思えば水戸藩では義公(光圀)が大日本史の編纂を創めたことから、幕末には徳川親藩でありながら尊皇の機運が高まった。しかし伊井直弼をはじめとする幕政により、烈公(斉昭)の強硬な攘夷論が退けられて和親条約が結ばれた。その時、安政の大獄の一環として斉昭は水戸藩に謹慎させられ、それが原因で水戸浪士による桜田門の変が起った。

　その後、急死した斉昭の後、藩主になった徳川慶篤の優柔不断な態度などを含めたいろいろな要因が重なって門閥派の諸生党と改革派の天狗党の軋轢が高まった結果、天狗党の乱が起り、その後明治維新に至るまでの水戸藩の抗争の悲劇は、水戸藩全体の貧困がその一要因だったことをこの本によって思い知らされた。

　小生は安政７年（1860）の「桜田門外の変」から明治５年（1872）の「水戸城炎上」までの水戸藩の天狗・諸生の争いを「イバイチの幕末の水戸」としてホームぺ―ジにアップしてあるので興味のある方は読んで頂きたい。

　今年(平成２６年)になって徳川光圀の生涯を描いた「光圀伝」（２０１２年発行）、天狗党の藤田小四郎が主人公の｢義烈千秋天狗党西へ｣（２０１２年発行）を読んだ。（「平成２６年前半のお勧めの本」参照）

　また諸生党の市川三左衛門を描いた「忠が不忠になるぞ悲しき」（２０１1年発行、再読)、を読んだ。そして今回この｢恋歌｣（２０１３年発行）、を読み、天狗党の乱から１５０年経った２０１０年以降の現在でも水戸藩に関する本が何冊も出版されることに驚くとともに、現在の日本の置かれた状況が戦後６０年の転換期になる予兆が背景にあると思うのは考え過ぎだろうか。
(写真は｢光圀伝」、「義烈千秋天狗党西へ」、｢忠が不忠になるぞ悲しき」の各表紙)

(この項終り）

(以上）