最近時代小説を書いていた作家が現代小説を書く本が多くなってきているようだ。そのはしりは乙川優三郎の脊梁山脈(平成25年発行)だと思うが、今年になって伊東潤の 「横浜1963」(平成28年6月発行)、山本一力の「晩秋の陰画(ネガフィルム)」」(平成28年6月発行)と二人の時代小説作家が描いた現代小説を読んだ。
両作家の時代小説は多く愛読しておりそれぞれに楽しく読ませて貰っているが、今回はその後に伊東潤の「吹けよ風呼べよ嵐」(平成28年3月発行)を読んだので、伊東潤の新作2件について述べたい。
伊東潤の本は平成26年に北条早雲の一代記を描いた「黎明に起つ」 が最初で、以後「義烈千秋天狗党西へ」「巨鯨の海」「王になろうとした男」「天地雷同」など7冊読んでおり、初の現代小説である「横浜1963」は8冊目である。
舞台は1963年(昭和38年)の横浜である。当時進駐していた占領軍人が日本の若い女性を殺害した容疑で、外見はアメリカ人そっくりだが日本国籍で警官であるハーフの男性とアメリカ軍所属の二世で日本人のの容貌を持つ男が真相に迫って行くストーリーである。
日本の警察が進駐軍の容疑者を捜査する困難さや、アメリカ人らしからぬ外見の二世の軍人と日本人らしからぬ風貌の警察官の生い立ちをからませて物語は進み、それは成功しているが、もう少し強く印象に残る表現でないと読んでいる方には響いて来ず、必然性が一般的な理解に留まってしまっている。
東京オリンピックの前年で47年前の時代設定であり、ケネディ大統領暗殺、朝鮮戦争などと道具立ては揃っているのだから、人種差別について、より強く心に訴えかける表現に出来ればすばらしい作品になり、作者の考え方もより明確に受け止める事が出来たと思えた。
「吹けよ風呼べよ嵐」は同じ平成28年発行だが、「横浜1963」の3か月前に発行されていた。内容は北長野須坂の国人須田満親が武田信玄に追われ村上義清と共に越後の上杉謙信を頼った。
その後謙信の信頼を受け、須坂に近い川中島の合戦では知略を傾け謙信を助け、上杉家中で直江兼続に次ぐ大身になるのだが、この本では青年時代から川中島の戦いをクライマックスにした前半生が述べられている。
須田一族はこの時上杉方と武田方に別れ、幼少の頃からともに山野を駆け巡った同族の須田満親と須田信正は敵味方になり、戦いながらも相手のことを想い、満親に嫁いだ信正の妹初乃の切ない想いなどが謀略渦巻く戦いの描写の合間に出てきたりして飽きさせない。また第4次川中島の戦いでは如何にして慎重な信玄を死地に追い込むかの謙信側の策謀が細かく錬られ目が離せない。
読み終わって満足感と共に今後の満親の動向を続編として読みたいと思わせる本だった。
伊東潤は2011年から2016年までの六年間に5回直木賞の候補に挙げられており、歴史小説では定評のある作家の仲間入りをしたと思っている。(直木賞候補作品−「城を噛ませた男」「国を蹴った男」「巨鯨の海」「王になろうとした男」「天下人の茶」)
この本と同じ頃犬飼六岐著の「青藍の峠 幕末疾走録」という本を読んだ。この作者の本は初読みだが、農家の次男坊が大阪の「適塾」を開いている緒方洪庵の許に入門したが、この若者は洪庵の思想を見極めて暗殺するという使命を帯びていた。
しかし、洪庵の人柄を知るにつけ考えが変わって行く。一方出身地の方では攘夷のために天誅組に加わろうとする動きがあり、それを止めようとするが果たせず、若者に尊王攘夷の考えを教えた青年は天誅組に殉じてしまうというという内容で、話の材料も揃っているのだが、通り一遍の感じで読了して後に残るものが少なかった。
この感じは「横浜1963」の読後感と似ているところがあった。そんな話もあるだろうと思える段階で、深く心に残る部分が少なかったのである。本を読む側としてみれば、この本を読んで良かった。楽しかった。と心の琴線に触れるような内容を期待して本を開くので、通り一遍の知識の羅列では心に響いてこない。その意味で「横浜1963」は掘り下げが物足りなかったのである。
「吹けよ風呼べよ嵐」は関係の少ない人物や場面も描写するきらいはあるが、主人公の考えがきっちりと描かれており、納得できるストーリーになっているが、作者の初めての現代小説「横浜1963」は、まだまだの感がある。
(この項終り)