「光炎の人(上・下)」を読んで 
2016年11月26日 (金)
平成28年(2016)10月の朝日新聞書評欄に「時代に翻弄させる技術者の野心」というタイトルで木内昇著の「光炎の人(上・下)」という本の紹介があった。木内昇(のぼり)という人は男性だと思っていたが女性で平成23年(2011)に「漂砂のうたう」で直木賞を受賞した人だとは知らなかった。

 話のあらすじは、日露戦争が始まる少し前の明治三十四年に12才になった四国の貧しい農家に生まれた主人公が友人に誘われて刻み煙草の工場で働き始める。そこで機械の仕組みを独学で学んで行き、やがて大阪の伸銅工場に移り、そこで更に独学で電気についても学び、やがて当時新技術だった無線機の研究を始めた。

 しかし新しい装置の公開実験の時に助手をしていた男が高圧の電気に触れ失神してしまい。同席していた先輩から電気の知識が少ない人間に対する安全を考えて居らず、それを含み技師としての理念が無いと批判される。

 それに反発した主人公は東京の大手の伸銅会社に移り、優れた無線機を作ることだけに没頭し、人間の利便性の向上という当初の目的を失って行く。やがて満州に渡り、より良い無線機を作りだすことしか考えないことから関東軍に利用され、また中国側にも利用されて破局を迎えるのである。

 作者は福島第一原子力発電所の事故の後、この構想を得て作品にしたそうだが、技術革新とそれを扱う人間との関係をどのように調和させて行くのかということを考えさせる作品であり、作中、主人公に技師としての理念が無いと批判した先輩技師がつくった安全機(ヒューズ)が多く売れていることに対して、「電気の危険から人を守る製品でどう転んでも人を攻撃しない。人の暮らしを助けて楽にするという機械の理想を叶えている」と主人公の幼馴染から言わせている。

未だ収束を見ていない原発事故で、津波の危険性を指摘されていたにもかかわらず、安全神話に寄りかかり対策を怠ったことは、開発した技術者が想定して居なかっただけでは無く、その技術を利用した経営側や政治家の責任も大きい筈であり、放射能最終廃棄物の処理方法も確立されていない状況で、稼働中のコストが安いからとの理由だけで原発を動かし続ける事は、人類の幸せに繋がることなのだろうか。さらに今後出て来るであろう新技術に対してどう向き合うのか、考えさせられる作品である。



(この項終り)

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