近畿の桜の写真集(フォトブック)を造る 2021年7月20日 (火) |
2020年(令和2年)5月に引き続き、、「しまうまプリント」で近畿の桜のフォトブックを作った。
平成27年(2015)に4月8日から4月10日にかけての近畿地方の、姫路城見学などのクラブツーリズムのツアーに参加した。 1.大阪城公園の城と桜を見物し、 2.高野山開創1200年を記念して170年振りに再建し た中門を観て奥之院に参拝し、 3.吉野山の3万本あるといわれる桜を観て 4.5年振りに平成の修理を終って公開されたばかりの姫路城を見学するという見所が多いツアーだった。 (写真はフォトブックの表紙) 茨城空港を出発した時は雨だったが神戸空港に到着するころは天候は徐々に晴天に向かっていた。 最初の見どころは大阪城公園である。大坂には1970年の大阪万博に来て以来であり、大阪城に行くのは初めてだった。関西では桜はもう散ってしまったと思っていたので、満開の桜が見られたのは有難かった。 秀忠によって寛永6年(1629)に再建された。その時、石垣と堀を破却し、本丸全体に盛り土をした上に石垣を積んだので豊臣大阪城の遺構は地中に埋もれている。その時建立された天守閣は寛文5年(1665)に落雷によって焼失し、以後天守は再建されなかった。 本丸の西側には西の丸庭園があり、桜が満開だった。東側には二の丸庭園があり、天守閣をバックに梅や桜が咲いていた。 高野山はご承知のように弘法大師空海が1200年以上昔、中国から真言密教をもたらした時、その道場を開いた場所であり、亡くなった場所でもある。その高野山の総本山が金剛峯寺である。 12年に再建されたもので、高さは48.5mあるという。 吉野山は花見の頃は30万人の人出がある。桜を眺めながら上がって行く県道15号線は金峯山寺蔵王堂への参道でもあるが、桜の時期は歩行者天国になっている。 金峯山寺の総門にあたる黒門のあたりまでは下千本と呼ばれる場所であり、この付近の桜は素晴らしく、一目で千本見渡せるということで「ひとめ千本」と呼ばれている。 吉野山は修験道の開祖といわれる役小角(えんのおづぬ)が蔵王権現の像を桜の木に刻み御神木として吉野山に祀ったと云われることから、御神木の献という行為で桜が植え続けられ、多くの桜が見られるようになったと云われている。 やがて金峰山寺蔵王堂に着く。 本尊は3体の蔵王権現像で、それぞれ重要文化財である。 南北朝時代に後醍醐天皇が吉野に行宮を定めたが京都の御所に戻れず崩御された御陵がある。 また楠木正成の長男正行(まさつら)が四條畷の戦い 翌4月10日は雨だった。大阪城、高野山、吉野山は好天に恵まれたので、一日くらいは仕方ないかと思いながらの出発だった。 姫路城は3月27日に5年間の修理が終わって、公開されてからまだ2週間しか過ぎておらず、見学する人が多くて、大天守に入るまでに1時間以上待つかもしれないとの事だった。内堀に架かる桜門を渡り、大手門を潜ると三の丸広場に出る。 大阪城や吉野の桜、また高野山の根本大塔や新装なった中門なども、深く心の奥底に刻み込まれ、残って行くことだろう。 (写真をクリックすると大きくなります) (以下次号)) |