源氏物語「巻の八」の帖は、源氏物語五十四帖」のうち、四十四帖 「竹河」、四十五帖 「橋姫」、四十六帖 「椎本」、四十七帖 「総角」の四帖である。(写真は左から表紙、扉、「竹河」「椎本」)の口絵)
その概要と読後感は次の通りである。
四十四帖 「竹河」(薫14才〜20才)
この帖は故髭黒の太政大臣一家のその後の物語である。玉鬘(たまかずら)は未亡人となって尚侍(かん)の君と呼ばれており、三人の息子と二人の姫君が居る。二人の姫君のうち、長女の大君(おおいきみ)は帝と冷泉院の両方から所望されていた。この時代貴族の家では、長女を大君、次女を中の君と呼んでいたので、この場合は玉鬘の大君で、次の巻の大君は八の宮の大君で別人である。
玉鬘は昔髭黒の横恋慕により、心ならずも結婚してしまい、当時の冷泉帝の御心を傷つけたことを思い、大君は院に差し上げることにした。大君は翌年女君を出産し、数年後には若君を出産したが、院には秋好む中宮や弘徽殿の女御が先に居り、院の御所での苦労が多く、里に居る期間が増えるようになった。
月日は流れて、薫は宰相の中将から中納言に昇進している。
四十五帖 「橋姫」(薫20才〜22才)
故桐壺帝の八の宮で、光源氏の異腹の弟宮は源氏復帰後の政界から締め出され、京の邸も焼失するという不幸に見舞われ、宇治に移り住んでいた。
その後、北の方にも先立たれ、二人の姫君が残された。その養育に当たるため、八の宮はかねてから抱いていた出家の望みを遂げることが出来なかった。しかし心だけは仏門に帰依して聖のような生活を送っていた。
それを知った薫は、八の宮の人柄と隠者風の生活に憧れ、八の宮に師事して宇治通いをするようになった。それから三年後、宇治を訪れた薫は二人の姫君の姿を垣間見てしまう。
薫は姫君たちに心を惹かれて応対に出た八の宮の大君に交際を申し込むが、老女の弁が大君に代わって薫と話すことになった。
弁は、柏木の乳母子(めのとご)だと名乗り、薫の出生の秘密を話し、隠し持っていた柏木の遺書や母の女三宮の手紙を渡す。
衝撃を受けた薫は母である女三の尼宮を訪れる。尼宮は無心に読経をしており、薫は何も言えず出生の秘密を自分の胸一つに収めるのだった。
四十六帖 「椎本(しいがもと)」(薫23才)
兵部卿の匂宮は初瀬の長谷寺に参詣した帰りに宇治の夕霧の別荘に泊まることにした。宰相の中将薫の君が出迎えに来ていた。
そこから川を挟んで八の宮の山荘があり、薫が宇治に来ていることを知った八の宮は薫に手紙を贈った。その返事を匂宮が書き、それ以来匂宮からの手紙が度々届くようになり、八の宮はその返事を中の宮にさせていた。
夏になっり薫が宇治を訪れた時、自分の死期が近いことを予期した八の宮は姫君たちの行く末を中納言になっていた薫に託した。
秋の深まる頃八の宮は山寺に参籠し、満願間近に病気になり亡くなってしまった。
八の宮の葬儀も追善供養もすべて駆け付けた薫が行った。匂宮からも度々弔問が寄せられた。
翌年三条の宮邸が焼失して、女三の尼宮も六条の院に移り、薫は多忙で、宇治へはなかなか行けず、夏になって漸く宇治を訪れた薫は、喪服姿の美しい姉妹を覗き見て大君に一層思いを募らせるのだった。
この帖の題名は薫が八の宮を偲んだ和歌、 「立ち寄らむ 蔭とたのみし椎が本(もと) むなしき床になりにけるかな」 から付けられている。
四十七帖 「総角」(薫24才)
八の宮の一周忌が近づき、薫は宇治を訪れ、大宮に匂宮が中の君に執心していることを伝えるが、大宮は快い返事をしない。薫は弁を呼んで悩みを訴え、故三ノ宮から自分は姫君を託されたのに、大宮が強情で靡かないのは何故かと問いかけた。弁は、大君は匂宮の求愛は浮気の一つと思い本気にしておらず、むしろ中の君を薫に縁付かせたいと思っていると話す。
その夜、薫は御簾の中に入り、その美しさに心をそそられ、二人は寄り添って横になるが大君はかたくなに拒み通すので、薫も喪が明けるまで待とうとはやる心を抑える。
やがて服喪も過ぎた頃を見計らって薫は宇治を訪ね、弁に大君との仲を取り持ってくれるよう頼み、弁は同情して大君に薫との結婚を勧めるが大君は応じない。
その夜、薫は弁の手引きで、姉妹の寝所に忍び込む。大君は不安を感じて目を覚ましていたので、そっと寝床を抜け出して身を隠した。薫は中の君を大君と思い込み喜んだが、やがて中の君と気付き、大君との先の夜のように手を出さず、やさしく物語などして一夜を明かした。
薫はあまりに強情な大君に業を煮やして、中の君と匂宮を結びつけてしまえば、大君は自分に靡くかもしれないと思い、匂宮を宇治に案内して中の君の寝所に手引きしてしまう。
中の君は物慣れた匂宮の扱いで初夜を過ごしてしまう。匂宮は中の君の愛らしさ、美しさに満足する。大君は薫から事情を聞かされ、驚愕して妹を可哀そうに思い、薫は相変わらず大君に拒み通され、その夜もむなしく帰った。
中の君に夢中になった匂宮は三日間長い山路を越えて宇治に通いつめた。当時は女君に満足して時は続けて三日間通い続け、三日の夜にお祝いをすることで公認されるという風習があった。薫は姫君の後見者として三日の夜の祝いのための贈り物をするのだった。
その後、匂宮は母である明石の中宮にとがめられ、宇治に行けなくなってしまった、匂宮は東宮の候補でもあるので、公の行事以外で京都以遠にしばしば出掛けるのはまずいとされていたからであろう。
十月になり、薫は匂宮を誘って宇治の紅葉見物に出かけた。暇を見つけて対岸の姫君の山荘に忍んで行く積りだったが、お供が増え過ぎて大人数になってしまい行くことが出来なくなってしまった。
姫君の方では、素通りされた落胆が大きく、ことに大君はこのまま捨てられたら中の君がどうなることかと心配のあまり、病気になり寝付いてしまった。十一月になり、薫は宇治に大君を見舞い、あまりの衰弱振りに驚き、看病のために滞在する。
薫はずっと泊まり込みで懸命の看病をするが、大君はついに儚く亡くなってしまった。薫は葬送のことから七日ごとの法事まですべて手厚く供養して一向に京に帰ろうとしない。十二月に入り、大君の忌明けに薫はようやく京に帰った。
匂宮の悲嘆ぶりを見て、また薫までが宇治の大君の死にうつけたようになっている噂を聞き、明石の中宮は宇治の姫君たちが並々の人でないことを悟り、匂宮に中の君を二条の院の西の対に迎えてよいと許した。
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[読後感]
この巻の最初の「竹河」は前巻の最後の「匂宮」「紅梅」と同様に薫の世代への橋渡しになる帖である。
次の「橋姫」から、宇治十帖と言われる薫を主人公とした新しい物語が始まる。
解説で、瀬戸内寂聴は、『紫式部は「雲隠」で源氏を死なせたとき、源氏物語は一応完結したとみなしたのではあるまいか』と述べているが同感である。宇治十帖は新たな物語として読むべきだと思う。
また紫式部は、パトロンだった藤原道長に「雲隠」までの原稿を渡した後2〜3年後には出家したのではないかとも書いている。出家して何年か経ち、仏教の教養を積み、自らの勤行に励む中で、源氏物語の続編を書く意欲が生じたのではないかと書いている。
いずれにせよ薫と匂宮が活躍するこの巻は、まじめで禁欲的、消極的な薫に対し、匂宮は快楽的、積極的な陽性の持ち主である。そして薫の陰気な暗さは、自分の出生の秘密をいつとはなく嗅ぎつけている所から生まれていると瀬戸内寂聴は言っているが至言であると思いながら読んでいる。
薫は大君に添い寝をした時も、中の君との時も男女の仲にはならなかったが、匂宮は中の君とはじめてあった時から新枕を交わし、遠い宇治まで三日も続けて通ったのである。
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(以下次号)