イバイチの奥の細道漫遊紀行

[鹿島詣 2]

H24-2-25作成

(4)鹿島神宮
 
 鹿島神宮は根本寺から旧国道51号線の坂を上り、鹿島神宮駅の方向に曲がった右側にあり、根本寺から約500メートルほどの距離である。常陸の国一の宮で神武天皇創建といわれ、伊勢神宮・香取神宮と並び日本で最も古い社の一つであり、常陸風土記にも載り、万葉集でも歌われている。

 表参道を行くと大きな楼門がある。熊本の阿蘇神社、福岡の筥崎八幡宮の楼門と共に日本三大楼門というのだそうである。楼門を入ると右側に拝殿と本殿がある。参道を更に進むと同じく右側に小振りな奥宮がある。楼門と本殿、拝殿、奥宮などは国の重要文化財である。また宝物殿には国宝の刃長7尺3寸8分(2.24m)の直刀がある。(写真は楼門と拝殿)

 芭蕉一行はここで「神前」と題し、「此(この)松の 実ばえせし代や 神の秋   桃青」 「ぬぐはゞや 石のおましの 苔の露   宗は」 「膝折ルや かしこまり鳴 鹿の声   ソラ」 とそれぞれに神前の松の古木、要(かなめ)石、神鹿を詠んでいる。芭蕉の句碑は奥宮の前、御手洗への降り口に置かれている小さな句碑である。(写真は奥宮と芭蕉の「此松の---」句碑および拡大したもの)

 奥宮から右折すると要(かなめ)石がある。その要石近くに、「枯枝に 鴉(あ)のとまりけり 穐(あき)の暮」の句碑がある。この句は延宝8年(1680)深川芭蕉庵での句である。要(かなめ)石は地震を起こす大なまずの頭を押さえつけている石で、香取神宮にもあるが、この石のお陰でこの地方は大きな被害が無いといわれている。(写真は「枯枝に---」の芭蕉句碑)

 芭蕉の句碑のある奥宮の前から左手の急坂を下った所に御手洗(みたらい)がある。昔はこの御手洗池で身を清めてから参詣するのが順路だったそうで、いつも冷たく透き通った清水が湧き出しているため、夏になると近くの茶屋には涼を取る人が大勢休んでいる。


 「鹿島詣」には鹿島神宮で詠んだ3句の次に、 

 「田家」 と題して、「かりかけし 田づら(面)のつる(鶴)や 里の秋  桃青」 「夜田かりに 我やとはれん 里の月  宗波」 「賤(しづ)の子や いねすりかけて 月をみる  桃青」 「いもの葉や 月待里の 焼ばたけ  桃青」の4句が。

 更に「」と題し、「もゝひきや 一花摺の 萩ごろも  ソラ」「はなの秋  草に喰あく 野馬哉  仝」「萩原や 一よはやどせ 山のいぬ   桃青」の三句が記れている。

 これらの句は「鹿島詣」の行き帰りに田園風景を詠んだものだが場所は特定できていない。ただ句と作者名だけが記されている。

 潮来市の水郷道路から潮来駅方面に曲がるT字路脇に水神社と大六天神社が一体になった社がある。その境内に 「かりかけし 田面の鶴や さとの秋  はせを」 の句碑がある。裏面に明治九年建之と刻んである。この神社はもともとは少し離れた場所にあったが、有料道路建設のため現在地に移されたと境内にある神社新築記念碑に記されている。この付近は潮来市大洲地区で、昔は舟で交通していたため氏神として建立されたのだろう。

 第六天神社とは神仏習合の時代に第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として創建されたもので、第六天魔王(他化自在天)とは他人のいろいろな楽しみを自由に自己の快楽に出来る魔王だが、釈迦が悟りを開いた時にこれを降し、以後守護神として祀られるようになったとも、崇りをする者を丁重に祀って災いを防ぐとも云われている。芭蕉の句碑はこの付近が水田地帯なのでこの神社に置かれたのだろうか。

(5)潮来

 芭蕉一行は帰路潮来に立ち寄ったらしい。当時の事だから舟で行ったのかもしれない。現在でも鹿島が面している北浦と潮来の間を結んでいる前川という川がある。「鹿島詣」には「野」の次の最後になるところに 「帰路自準に宿ス」と題して「塒(ねぐら)せよ わらほす宿の 友すゞめ  主人」 「あきをこめたる くねの指杉  客」 「月見んと 汐引きのぼる 船とめて  ソラ」 と連句形式で記し、その後に日付を入れて終わっている。

 自準とは元大垣藩士の本間道悦(字は自準)で致仕して江戸で医者になり、のちに常陸潮来に隠棲して「自準亭」という診療所を開いた人物といわれる。芭蕉とは旧知でこの日も連歌を行ったのだろうか。発句は本間自準で客の芭蕉が脇を務めて居る。

 市内に「本間自準亭跡」があり市の文化財に指定されている。標柱には自準亭に15日余逗留して「鹿島詣」も逗留中に書かれたとあるが、泊ったのは1日で「鹿島詣」は深川に戻って書かれたというのが定説である。また自準は行徳在住の小西似春(じしゅん)だという説とがあるが、岩波文庫の「芭蕉紀行文集」には本間道悦と脚注にあるのでそれに従った。

 潮来には立派な茅葺屋根の長勝寺という古刹がある。この寺の境内に三人の詠んだ三吟句碑がある。「塒せよ和ら本す宿の友すゞめ   松江」 「あきをこ免たるく年の指杉   桃青」 「月見んと汐引のぼる船とめて  ソラ」 と刻んである。松江は自準の別号である。昭和七年に建立された。(写真は長勝寺本堂と三吟句碑、長勝寺の案内板)

 また境内には、「旅人と 我名呼ばれむ 初しぐれ」 の句を刻んだ時雨塚がある。この句は「鹿島詣」 の後、同じ年の十月に「笈の小文(おいのこぶみ)」の旅に出立した時、その冒頭に掲げられた句である。また境内の鐘楼にある銅鐘は国の重要文化財に指定されている。(写真は時雨塚、鐘楼)

 境内の裏手には桜で知られた稲荷山公園があり、潮来の市街地が一望できる。ここに野口雨情が利根川の船頭を唄った「おれは河原の枯れすすき」で始まる船頭小唄の歌碑が建てられている。(写真は船頭小唄の歌碑)

 また潮来は佐原と共にあやめで有名である。6月のあやめ祭りには500種100万本のアヤメが咲き、嫁入り舟の運行や水郷十二橋巡りなどがあり、潮来駅近くのアヤメ園などには毎年多くの観光客が押し寄せ、いつもは閑静な市内もその期間ばかりはものすごく賑やかになる。(写真は前川アヤメ園)


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注2)青字は「鹿島詣」の原文です。