「氏真、寂たり」 を読んで
 

2021年4月12日 (月)
  「氏真、寂(うじざね、じゃく)たり」

       秋山 香乃

  静岡新聞社  2019年9月発行


 今川氏真(うじざね)は街道一の弓取りといわれた今川義元の嫡男である。先日、豊臣秀吉によって滅ぼされた後北条氏の盛衰を描いた「北条五代」という歴史小説を読んだばかりで、北条氏の隣国にあり、駿河、遠江、三河の三国を領国とした大名でありながら、織田信長に桶狭間で敗れた今川家のその後はどうなったのか知りたくなり読んだ本である。
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 天文23年(1554)氏真のところに北条家の姫、志寿が嫁入りしてきた。氏真17才、志寿6才の時である。今川、武田、北条の三家が互いに婚姻関係を結び合い、同盟国として協力することになったためである。
 またその5年前の天文18年(1549)に三河の松平竹千代(元康、後の家康)が8才で人質として今川家に来ており、氏真と共に太原雪斎という義元の相談役的人物の教えを受けることになった。しかし半年後、雪斎は病気で亡くなってしまった。

 永禄3年(1560)になり氏直は23才で家督を引き継ぐことになった。竹千代は名を元康と改め19才になった。志寿は14才になり初夜を迎えた。
 永禄3年5月桶狭間の戦いで今川義元は織田信長の奇襲により死亡した。氏真は名目上家督は引き継いだが、まだ実権は義元が握っており、信頼できる補佐役も部下も殆ど居ない状態だった。

 それに乗じて、松平元康は岡崎城の城主が城を捨てて駿府に逃げ帰った後に入城し今川から独立した。元康は氏真が敗戦後の処理に手間取っている間に、西三河をほぼ治めて織田信長と同盟を組むことに成功した。その後三河をほぼ平定し、永禄9年に姓を徳川に改め徳川家康となった。

 永禄12年12月、信玄が同盟の約を破り、駿河領内に攻め込んだ。氏真はそれを薩?峠(さったとうげ)で迎え討とうとしたが、武田方からの内通の呼びかけに対して、21名の重臣が戦場を離れる姿勢を見せたので、氏真は駿府に逃れ、更に今川方に従っていた掛川城主の朝比奈泰朝の城に入った。

 武田軍は駿府を焼き払い、いったん引き上げた。その間氏真の要請により、もう一つの同盟国の北条氏康は、嫡男氏政に4万5千の兵を預けて駿河に出軍させた。氏政率いる北条軍は薩?峠周辺で武田軍と対峙した。

 一方掛川城に籠った氏真に対し家康は何回も攻撃したが4ヶ月経っても城は落ちず、家康は武田とは手切れをし、駿府を奪還するので、遠江の支配を譲れという妥協案を出してきた。

 氏真はその前に北条氏の意向を聞く必要があり、北条との交渉の結果、今後も今川方に代わって武田と戦うことを約束したが、その支援と引き換えに氏政の嫡男氏直を養子とし、氏真は隠居して今川の家督を譲るよう要求した。氏真は悩んだが、この期に及んでは致し方なく、徳川、北条の要求を入れ、ここに戦国大名としての今川家は消滅したのである。

 その後も武田信玄の攻撃は衰えず、駿府奪還も出来ず,氏真は北条の庇護のもとにあったが、徳川と織田の連合軍が三方ヶ原で散々打ち負かされたという風聞を聞き、家康と共に武田と戦おうと北条から離れて、家康の許に行き、今川衆として武田と戦うことを願った。

 家康から信長はその話を聞き、当時、蹴鞠の名人といわれた氏真に蹴鞠を所望し、氏真は同じく名人といわれる公卿8人と共に千回を蹴り上げ戦勝の祈願をした。氏真の蹴鞠はその中でも圧倒的に上手いと評判になり家康と共に武田と戦う許しを得た。またこの蹴鞠によって氏真は公卿、殿上人との交誼が生まれ、後の京での生活にも大いに役立った。
 
 やがて武田勝頼と織田、徳川連合軍との長篠の戦が始まり、掛川城主の朝比奈泰朝が武田四天王の一人内藤昌豊を討ち取る殊勲を挙げて、家康から仕官を薦められた。氏真は今川を頼りとして集まっていた今川衆全員を泰朝に預け共に家康に仕えさせた。

 天正5年(1577)氏真は出家した。氏真41才、志寿32才、娘の菊12才、長男芳菊丸9才である。

 氏真は秀吉からも仕官を進められたが全て辞退し、京に上り好きな和歌を公卿たちに交じって存分に楽しみ、その一方では家康に京都をはじめとした西国の情報を折りに触れ送っていた。

 慶長17年(1612)、22年間を京で過ごした氏真は75才になり、家康に呼ばれて駿府上に完成した天守閣を見に行き、家康から知行地500石分を貰い今川家は正式に徳川将軍家の旗本として、組み込まれることになった。すでに次男の高久が高家品川家を興しているので、更に高家今川家の二家が存続し、幕末まで続いたのである。

 慶長18年(1613)妻志寿が67才で亡くなり、またその翌年今川氏真は77才で子や孫、弟妹に囲まれながら穏やかに永眠した。
 

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(この項終わり)

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