「マチネの終わりに」
平野 啓一郎
毎日新聞出版 2016年4月発行
「マチネの終わりに」は第120回(1998年下半期)芥川賞受賞作家で、当時最年少の受賞ということで話題になった平野啓一郎が2016年(平成28年)に発行した現代小説である。
芥川賞は純文学系の新人に与えられる賞で、読んでもあまり面白くないという先入観があり、あまり関心がなかったが、NHKBSの「100分de名著」という番組で、三島由紀夫の「金閣寺」が最近取り上げられ、その解説をしているのを見て、その説明の様子からこの人の作品を一度読んでみたいと思って、図書館から借りた本である。
小生は主に推理小説か時代小説を読んでいるのだが、興味があれば現代小説も読むので、抵抗なく借りてきた。
********************************************************
ここで描かれるのはクラシックギタリストの蒔野聡史とフランスの通信社に勤務する小峰洋子の物語りである。
始めに、作者の序文が記されている。「彼らは『人生の道半ばにして正道を踏み外しつつ』あった。
つまり40歳という、一種、独特の繊細な不安の年齢にに差し掛かっていた。彼らの明るく喧噪に満ちた日常は、続くと想像しても、続かないと想像しても、いづれにせよ物憂かった。
彼らもまた『神曲』の詩句にある通り、「どうしてかは上手く言えない」まま、気が付けば、その「暗い森の中」へと迷い込んでいたのだった。」という文章である。
全てを読み終わって改めてこの序文を読み返すと成程と思い返せる内容がある。
蒔野聡史と小峰洋子が初めて顔を合わせるのは蒔野がデビュー二十周年記念の最終公演日に主催のレコード会社の担当者の女性に紹介され、打上げに付き合った時だった。
作者はその章の最後に「最後に交わした眼差しが繊細で感じやすい記憶として残った。それは絶え間なく過去の下流へと向かう早瀬のただなかで、静かに孤独な光を放っていた。彼方には生みのように広がる忘却!その手前で、二人は未来に傷つく度に、繰り返し、この世の闇に抱かれながら見つめ合うことになる。」と記しているが、小生はそのような文体が好きだ。
洋子はその後イランの現地取材でバグダッドでテロに逢い、その後遺症でPTSD(心的外傷後ストレス障害)になってしまう。
その後、いろいろの食い違いがあり、洋子はフィアンセだったアメリカ人と結婚し、男の子を産み、その後夫の不貞などで離婚する。蒔野はマネージャーの三谷早苗と結婚し、女の子が生まれる。そして最初に会ってから5年の年月が経った。その間にも二人は折に触れて相手のことを思い出すのだった。
そして5年半後のある日、洋子は蒔野がニューヨークでコンサートをすることを知った。自分の仕事に生きがいを感じていた洋子はその頃ニューヨークにいることを確認してチケットを一枚購入した。そのコンサートに行くことが蒔野への気持ちの区切りになるだろうと思った。
しかし蒔野はコンサート会場に洋子がいるのに気が付いた。アンコールの最後に、「それでは、今日のこのマチネの終わりに、皆さんのためにもう一曲、特別な曲を演奏します。」
それから彼は、ギターに手をかけてイェルコ・ソリッチの有名な映画のテーマ曲である{幸福の硬貨}を弾き始めた。その冒頭のアルペジオを聴いた瞬間、洋子の感情は、抑える間もなく涙と共にあふれ出した。・・・・と記している。
また最後のページに「・・・・天使よ!私たちには、まだ知らていない広場が、どこかにあるのではないでしょうか?そこでは、この世界では遂に、愛という曲芸に成功することのなかった二人が、
・・・・彼らは、きっともう失敗しないでしょう、・・・
再び静けさを取り戻した敷物の上に立って、今や真の微笑みを浮かべる、その恋人たち・・・・」
というリルケの詩句を入れている。これがまだ描かれていない二人の未来を想像させている。
この本はロドリーゴの「アランフェス協奏曲」や、バッハの「無伴奏チェロ組曲」などクラシック音楽の話が出てきて、音楽と密接に関係がある小説である。
またイェルコ・ソリッチの有名な映画のテーマ曲である「幸福の硬貨」とは、この「マチネの終わりに」の映画の主題歌として作曲家、菅野祐吾が作曲したもので、YouTubeで聞くことが出来る。この作品に合ったゆったりとした良い曲だと思う。
映画では主演の福山雅治が演奏したそうである。
この作品はアラフォー世代の男女の物語として設定してあるが、ある程度の年齢と経験のある大人の物語として充分に満足出来た。好きな作家になりそうだ。
表題にある『マチネ(matinee)』とはフランス語で朝、午前の事で、劇場公演では昼公演をマチネ、夜公演をソワレと呼ぶそうである。
top↑
(この項終わり)