「高瀬庄左衛門御留書」 を読んで
 

2021年8月15日 (日)
  「高瀬庄左衛門御留書(おとどめがき)」

       砂原 浩太朗

  (株) 講談社  2021年1月発行


 「高瀬庄左衛門御留書」は今年上半期の第165回(2021年上半期)直木賞候補になったが惜しくも受賞は出来なかった時代小説である。
 砂原浩太朗という名に馴染みは無く、また表題も面白味もない漢字の羅列だけであり、図書館に行くときに新聞や書評などで取り上げられた本の名前をメモしておいたなかの一冊で、たまたま見つけた本である。

 最初はあまり期待せずに読み始めたのだが、文章は読み易く、登場人物の気持ちや感情まで言外に示してくれるので、登場する人物の性格や考えまで推測でき、スムーズに読み進められる。好きな時代小説作家である藤沢周平や葉室麟、青山文平、乙川優三郎などに共通する表現が多い作家であることが判った。

 この本の主人公高瀬庄左衛門は、架空の藩である神山藩で農村を回る郡方で、齢50才を越えた下級武士である。妻は病で亡くなりひとり息子は妻帯し、同じ郡方に務め始めており、本人はそろそろ隠居生活に入り、趣味の墨絵に専念しようと思い始めた頃である。

 物語は始まってすぐ、庄左衛門の息子の啓一郎が豪雨の中、見回り途中で崖から落ちて亡くなるという事故が発生する。啓一郎と妻の志穂との間にはまだ子が出来ておらず、志穂は実家に戻すことになった。

「――だれもいなくなったの」。庄左衛門はかぶりをふって足をすすめる。父母はとうにみまかり、二十余年連れ添った妻も亡い。息子はいのちの器を満たすことなく逝ってしまった。そして、志穂はおのれ自身が去らせたのだった。ふと近くの田を見やるとメダカが水の中を渡っている。透きとおった尾びれが稲の間をかろやかに擦りぬけ、じきすがたを消した。つよい寄る辺なさが。伸しかかってきそうになる。どうにか足もとへ力をこめ歩きつづけるうち、すこしづつあたりに薄闇がまぶされてきた。」と、作者は庄左衛門の孤独を記している。

 庄左衛門は手慰みに絵を描いていたが、やがて志穂に請われて、非番の日に志穂とその弟の俊次郎に絵を教えることになった。ある日、志穂の上の弟である宗太郎の素行について志穂から相談され、また亡き息子の啓一郎と浅かなる因縁を持つ立花弦之助という若者と知り合うことになり、藩のお家騒動に巻き込まれていく。

 またそれに伴って庄左衛門の若かりし頃影山道場の三羽烏だった頃を想起する。後継ぎの居ない師の哲斎は勝ち抜いた者を娘の芳乃の婿に迎え、影山道場の次期当主にするということになった。
 試合の数日前、庄左衛門は、三羽烏の一人である堅吾に芳乃がこっそり守り袋を渡すのを見てしまった。二人がいなくなった時、「―― あのひとは----。突然、ある思いが胸を過った。俺が勝ったら悲しむのだろうか。」
 そして師の墓参に赴いた時、かって思いを寄せていた芳乃と再会した。
「おすこやかでおられましたか‐‐‐‐‐あれから」
とっさに胸が詰まった。幸せだったか、と聞いているのだ。なぜか、はっきりと分かった。同時に矢張り、あの夕暮れ、やはり芳乃は自分に気付いていたのだという気がする。すこやかでしたと応えねばならぬ、と庄左衛門は思った。が、それでいて唇の動きが止まったのは、果たして己は幸せだったのかという問いを突き付けられたように感じてしまったからである。
 このまま黙っていてはいけない、と思った瞬間、押し出すように声がこぼれる。「----悔いばかり重ねてまいりました。」いそいで言葉をつづける。「つまり普通ということでござろう」あわてて告げたが、口調は自分でもふしぎなほどおだやかだった。
 この様な文章が続いていく。
 物語には更に何人かの主要人物が登場するが、個性的な人物が多く、それぞれのキャラが立っているので人間味が感じられ、それが終盤に一気にまとまった形で描かれ、その間の展開が最後に納得できるかたちで示されるので、50才を越えた人物の淋しさを感じながら、さらに今後の人生を新しく生き抜いていこうとする希望が感じられる良書である。

 

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(この項終わり)

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