100分de名著
「群集心理」 を見て読んで
 

2021年10月10日 (日)
 100分de名著 「群集心理」

       ギュスターヴ・ル・ボン 著
       武田 砂鉄 講師

  NHKテキスト  2021年9月発行


 NHK Eテレに、毎週月曜日午後10:25〜10:50に「100分de名著」という番組がある。1回25分で4回/月あり、合わせて100分で古今東西の名著の奥深さをその道に詳しいプレゼンターが分かり易く、楽しく解説するというもので、10年前の2011年からやっており、現在の司会者は伊集院光とNHKの安部みちこである。

 「100分de名著」が見ごたえがあると思い、何回か録画し暇を見つけて再生するようになった。4月の渋沢栄一「論語と算盤」、5月の三島由紀夫「金閣寺」の後、6月に「華氏451度」をこの欄で紹介した。7月ポーヴォワール「老い」、8月のアレクシエーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」に続き、今回、9月の「群衆心理」という名著の紹介である。

********************************************************

 「群衆心理」はル・ボンというフランスの社会心理学者が、1895年に発刊した近代社会と人間の心理を読み解いた名著だということである。フランスでは、その約100年前の1789年にフランス革命が始まり、1793年にルイ16世の処刑が行われている。そして1809年にナポレオンが皇帝になり、1840年アヘン戦争が始まり、1861年にはアメリカ南北戦争が始まり、1914年には第一次世界大戦が始まるという時代である。
 当時のフランスは市民の蜂起と産業革命によって社会が大きく変化していた。一般市民という「群衆」が急速に存在感を増しており、王侯貴族ではなく群衆が歴史を動かすようになってきた。そんな時代に、群衆とは何か、それはいかに形成され、どのような特質・心理・行動様式を持っているのかを解明したのが「群衆心理」であり、群衆を統制・操縦しようとする指導者の手口も明確に分析されている。と講師は言っている。
そして群衆化した人間の心理に鋭く切り込み、、その功罪を説いた本書は各国で翻訳され、1939年に第二次世界大戦が始まった時のアメリカのルーズベルト大統領、やナチスドイツのアドルフ・ヒトラーもこの本を愛読していたといわれている。

また今年(2021)1月に起きたアメリカ連邦議会議事堂襲撃事件も、「群衆心理」を思い起こさずにはいられない事件だと、講師は言っている。ル・ボンは群衆は暗示を受けやすく、物事を軽々しく信じる性質を持つと述べており、あの日議会に突入した群衆は荒唐無稽な陰謀説を信じ込んでいたわけで、まさにそうした性格を具えていたと講師は言っている。

ル・ボンは心理学の観点からは群衆とはある一定の条件でそのような状況においてのみ、人間の集団はそれを構成する各個人のそれを構成する各個人の性質とは非常に異なる性質になる。
 すなわち意識的個性が消え失せて、あらゆる個人の感情や概念が同じ方向に向けられるという、「意識的個性の消滅」と「感情や観念の同一方向への転換」で、集団を構成する人々の考え方や感じ方が統一され、濁流のように一つの方向に向かった行く事が、群衆心理に陥ることであるという。。

その中にいると個人が単体で動いていた時には働いていた理性や知性、それぞれの個性といったものは鳴りを潜めてしまう。これはどんな人にも起こりうる。とル・ボンは指摘している。

更に、人間は「単に大勢の中にいるだけで一種不可抗的な力を感ずる」ものであり、理性的に考えて行動するより「本能のままに任せることがある」という。自分一人で考えたり、行動したりしている時は「こんなことをしてはマズイ」という理性が働くのに、群衆の中にいると話が違ってくる。「赤信号みんなで渡れば怖くない」状態に陥る。

こうした特性の背景には「数の力」が働いているとル・ボンは指摘する。単独で行動している時は悪事を働こうと考えない人でも、ひとたび「群衆の一員になると多数の与える力を意識して、殺人なり略奪なりの暗示が少しでも与えられると、たちまちそれに従う」し、そこに予期しない障害があれば「躍起になってそれを打ち砕く」と言っている。

講師はそれを現代社会のSNSなどに引き付けて言えばネット炎上で、ネット上では毎日のように様々なことで炎上している。なぜ叩くにかといえば「みんなが叩いているから」という数の力による無責任な場合が多い、その暴力性は年々強まっているようだと述べている。

ル・ボンは心理的群衆の特性として「暗示にかかりやすく、物事を軽々しく信じる性質」になること。また「感情が誇張的で、単純であること」といっている。暗示は人間から批判精神や観察力を奪い去ってしまう。またひとたび群集心理の暗示にかかると自分で考えられなくなるため、感情移入しやすい分かりやすさを求めてしまう。

例えば昼過ぎの情報番組を見ていると、ニュースの内容を伝えるテロップとは別に「悲痛!」とか「歓喜!」といった文字が大写しにされることがよくある。テレビ番組の制作者側が「これを観ているあなたはこういう感情で観てくれればいいんですよ」と視聴者の感情を誘導する仕掛けといえるが、これに慣れきってしまうと自分で物事を考えないばかりか自分で考えることを止めてしまう。

一方群衆は、強い言葉や印象的な標語、魅力的な幻想に易々と引き寄せられていく。とル・ボンは指摘している。これは集団を自分の思い通りに動かそうと企む人間には好都合である。では指導者はどのような手段を用いるのか、それは主として「断言と反覆と感染だ」とル・ボンはいう。「無条件な断言こそ群衆の精神にある思想を沁み込ませる確実な手段となる。断言は証拠や論証を伴わない、簡潔であればあるほどますます威力を持つ」という。

「断言を繰り返すことも、群衆に幻想を印象付けるためには極めて有効な手段である」という。政治家がこの手法を応用するときに狙っているのは反復することで「あたかも論証済みの審理のように承認される効果」であるという。

ナチスドイツでは演説において「断言・反覆・感染」を戦略的に駆使したヒトラーは、群衆を熱狂させ思いのままに操作した。ヒトラーの方法はル・ボンが「群集心理」で説いたセオリーそのままだったと講師は言う。

そのような群集心理に陥らないようにするのはどうすれば良いのか。もっともらしく聞こえる主張は必ずといっていいほど、何かを省略していて断言の体裁を取っている。
また同じことを主張する人物には警戒する。周囲と同じ意見を持つことが多くなったりしたときは立ち止まって考えたり、共感を押し付けられていないか見直したり、メディアで言っていることは正しいのかと疑問に思ったりすることが大切だという。
要は「断言・反覆・感染」に犯されていないか自分で考えることが大切だと講師の武田蹉跌は言う。

「100分de名著」も、何100ページもある本の内容を、25分×4=100分で説明を聞いて分かったような気がするが、これは講師が自分の判断で大きな内容を取捨選択して話しているので、それは本の内容のすべてではなく、より重要な内容を洩らしている場合もあるので、「100分de名著」を実際に読むことが大切だ。
と言っているが、これは前回紹介した「華氏451」で、社会の加速化で効率が重視されるため本は短く圧縮される。古典は15分のラジオプログラムに縮められ、次には2分間の紹介コラムに収まり、最後は十行かそこらの梗概となって辞書に乗る。と言っているのと同じことで、時には自分で考え行動することの大切さを述べているのである。


 

top↑

(この項終わり)

           Home