100分de名著
「資本論」 を見て読んで
 

2021年12月30日 (木)
 100分de名著 「資本論」

       カール・マルクス 著
       斎藤 幸平 講師

  NHKテキスト  2021年12月発行


 NHK Eテレに、毎週月曜日午後10:25〜10:50に「100分de名著」という番組がある。1回25分で4回/月あり、合わせて100分で古今東西の名著の奥深さをその道に詳しいプレゼンターが分かり易く、楽しく解説するというもので、10年前の2011年からやっており、現在の司会者は伊集院光とNHKの安部みちこである。

 12月の「100分de名著」は2021年1月に放送した番組のアンコール放送だそうである。昨年1月の朝日新聞の読書欄に「人新世の資本論」の書評があり関心を持ったが、その著者が今回の解説をする講師であることを知り、テキストを購入した。その講師である斎藤幸平氏は1987年生まれで33才の気鋭の経済思想家である。2018年にマルクス研究の最高峰である「ドイッチャー記念賞」を日本人初、史上最年少で受賞している。

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 カール・マルクスの「資本論」第1巻が刊行されたのは1867年で難解な書として知られており、「150年も前に発刊された資本主義を論じた本をいまさら読んでも」と思う人が多くなっている。
 更にマルクス主義を標榜したソ連が崩壊した後は資本主義を批判する者が居なくなり、「新自由主義」という市場原理主義が世界を席巻し、世界全体の在り方を資本主義が大きく変えていっており、人類の経済活動が地球の在り方を根本的に変えてしまったという事実を示すために「人新世(ひとしんせい)」という概念が大きく使われるようになってきた。
 世界中に豊かさをもたらすはずの資本主義が、「人新世」ではむしろ社会の繁栄を脅かすような危機が発生している。金融危機、経済の長期停滞、貧困やブラック企業、新型コロナウィルスのパンデミック、そして気候変動による異常現象などが我々の文明的生活を脅かすようになっている。
 要するに、資本主義の暴走のせいで、我々の生活も地球環境もめちゃくちゃになっている。中でも深刻な問題の一つが格差の拡大である。世界の富豪トップ26人の資産総額は地球の人口の半分である39億人の資産に匹敵するという。またアメリカだけでも、超富裕層トップ50人の資産は2兆ドルで、下位50%の1億6千500万人の資産に匹敵する。
 日本でも同じように超富裕層に属する人たちはいるが、我々庶民は長時間労働、不安定雇用、低賃金などを余儀なくされ、貧しくなっていくばかりであり、年収200万円以下の人が1200万人もいる社会では、若い世代が将来に希望を持つことが出来ないのは当然であり、医療費は高く、十分な年金のない高齢者にも生活に不安を感じている人は少なくない。
 またグローバル資本主義の暴走が引き起こした気候変動に代表される世界的な環境破壊も深刻であり、また人類がインフラ整備のため過剰な森林破壊を引き起こ素など、地球全体を掘りつくして商売の道具にしてしまう資本主義のツケを払わされるのは今を生きる我々であり、未来を担う若い世代なのである。
と、講師は前書きで述べている。

またマルクスは「資本論」の第一巻は刊行したがその後は刊行出来ずにこの世を去り、第二、第三巻は盟友のフリードリヒ・エンゲルスが刊行した。しかしマルクスが残した晩年の膨大な草稿や研究ノートは残されたままだった。それをMEGA(メガ)という国際プロジェクトで刊行が進められている。それらの新資料を調べ直すことでこれまでとは違う視点での「資本論」の読解が可能になると講師は言う。
 ここまでが前書きで第1回の講義に移る。

第1回の講義の要点は
 人間も他の動物も自然に働きかけることによって生を維持しているが、その違いは人間は動物のようそこにある食べ物を食べるのではなく、種を蒔いたり収獲したりという労働をして、それに対価を払うことによって食べ物を買い求め食べるわけで、それは衣食住すべてで同じように対価を払って求めるようになっている。すなわち我々の暮らしや社会は、我々が自然に対してどのような働きかけをしたかということがマルクスの資本主義社会を分析する基本的な視点だということである。
 つまり、生活に必要なものはすべて「商品」として我々はそれを買って日常を送っている。おカネを出せば何でも買えることで豊かになったように見えるが、それは商品化によって社会の富が貧しくなっていることだとマルクスは一貫して問題視している。
 人間は労働によって様々な物を作ってきたが、資本主義以前の労働は基本的に「人間の要求を満たす」ための労働だった。そうした生産活動には一定の限度がある。たくさん食べたいと言っても食べられる量にはおのずと限りがある。それによってそれ以上は欲しがらない。
 アマゾンのCEOは世界一の大富豪だが、書籍販売で成功すると次はパソコン、食品などただひたすらに手を広げていく。なぜなら資本主義社会では利潤を追求し資本を増やすこと自体が目的になっているからだという。
 資本主義社会で生産される商品は人々の生活に、本当に必要なもの、重要なものかより、それがどれくらい売れるのか、どれだけ資本を増やしてくれるのかが重要視されるからだという。

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第2回の講義の要点は
 市場では常に競争が行われている。儲けにこだわり、規模を拡大していかなければ、他社との競争に敗れて淘汰され、従業員の賃金を払うどころではなくなるかもしれない。
 事業を続けて行くためには効率化やコストカットを進め、競争力をつけて儲け続けねばならない。つまり、資本家も、自動化された価値増殖運動の歯車でしかない。そして労働者は、そんな資本家に従うしかない。

 資本主義は人々を旧来の封建的な主従関係や共同体のしがらみから解放したが、共同体から自由になるということはそこにあった相互扶助、助け合いからも切り離されてしまうということであり、今は何とか生活できていても、体を壊したり、失業したりすれば生活が立ちいかなくなってしまうかもしれない。そんなリスクに常に晒されている労働者は、みな「潜在的貧民」だとマルクスは言う。

 しかし労働者を突き動かしているのは、「仕事を失ったら生活できなくなる」という恐怖よりも「自分で選んで、自発的に働いているのだ」という自負なのである。資本主義社会では、労働者の自発的な責任感や向上心、主体性は資本主義の中にうまく利用されていることを、マルクスは指摘し警告している。

 8時間労働日はすでにマルクスの時代に、部分的に実現されていたが、それから150年経ち、これほど生産力が向上したにもかかわらず当時と同じかそれ以上働いているのは何故なのだろうか?
 なぜ20時間労働ではだめなのだろうか?

 残念ながら日本には、まだ資本主義に挑む大胆な労働時間短縮の動きは見られない。それどころか生活保護パッシングに見られるように「働かざるもの食うべからず」という勤労倫理はますます強化されている。こんなことでいいのだろうか?

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第3回の講義の要点は
 労働者の仕事のやりがいの低下と賃金の低下である。資本論刊行からおよそ60年後、イギリスの経済学者ケインズは「生産力があがればやがて労働時間は短くなり人々は時間を持て余すようになる」と言ったが、実際には仕事が減り、失業して働けなくなり人間はいらなくなるのではないかという恐怖心から誰でもできるような仕事を低賃金で文句も言わず働いている。

 なぜ生産力上昇が労働者を幸せにしないのか、それは資本家が生産力を挙げ、商品をより安く生産し市場で勝ち残るためだとマルクスは言う。
 そのために資本家は生産工程を細分化して労働者に分業させる手法を取る。決められた単純作業を何年やっても完成品を作る能力は無く、また単純作業なので、自分の代わりになる人はいくらでもいる。仕事を失いたくなければノルマを達成すべく働くしかなくなり、資本家との主従関係が強化される。それこそが疎外の原因になる。

 そして生産能力が増え、需要が同じであれば相対的に過剰な作業者が増加していく。そうなると、新しく意味のない仕事を作り出さないと週40時間を維持できなくなる。
 マルクスは、労働者が疎外される事を乗り越えるには、「ロボットやAIで労働そのものを無くすることではなく、各人が自分の能力を発揮し、一人一人が自分の労働力という「富」を生かしながら社会全体の「富」を豊かにしていかなくてはいけない、そのためには能力や感性を取り戻さなければならない」と言っているのである。

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第4回の講義の要点は
 それでは、どうすれば良いのか?マルクスは物質代謝論という人と自然が循環していくことを思い描く、人は自然が無くては生きられない。人は自然との循環の中で生きているのである。

 資本主義社会はこの循環のありとあらゆるものを商品化し、利潤を増やすために使用する。農業では売れると判れば大規模に労働力をつぎ込んで連作し、土壌の養分が回復するのを待たずに疲弊させる。

 例えばアボカドはチリの特産物だが、2010年頃から深刻な干ばつが発生し、生活用水や牧畜や農業に大きな影響が出ている。しかし消費地ではそのようなことは判らず、どんどん買っており本来のコストは不可視化されるのである。

 資本は人間ばかりではなく、自然からも豊かさを一方的に吸い尽くし、その結果人間と自然の循環が乱され、物質代謝の連関の中に、取り返しのつかない修理不可能な亀裂を生み出す。とマルクスは資本論でくり返し述べており、それに代わるものとして

 『資本主義に代わる新たな社会において大切なのは、共通の目的のために、自発的に結びつき、共同する「アソシエート」した労働者が、人間と自然との物質代謝を合理的に、持続可能な形で制御することだ。』とまだ発刊されていない資本論第3巻の草稿の中で述べている。

 また社会の富を共用財産(コモン)として一括管理し、働けない人、お金のない人を排除することなく、各人はその能力に応じて人々に与え、各人はその必要に応じて人々から受け取る方式にして行く事を提唱している。

 資本主義は成熟段階の来ており、不具合もいろいろ出てきており、人類の未来を考えると別の社会の在り方を思い描かねばならない時期なのだろうか。

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(この項終わり)

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